最高裁「痴漢逆転無罪」判決

 平成21年4月14日に最高裁で出された、痴漢事件に関する、3対2の僅差の無罪判決である。

 最高裁判所のHPに判決全文が掲載されているので、是非ご一読頂きたいのであるが、特に2名の裁判官が補足意見、2名の裁判官が反対意見を書いており、非常に面白い。おそらく相当の激論が合議体内部でなされたのではないかと思われる。

 最高裁の事後審制についてはできるだけ端折って、誤解を恐れず、5名の裁判官の立場で主張を分かりやすく、述べれば次のように整理できるかもしれない。

裁判長
 さてこの事件ですが皆さんどうお考えですか?被告人は捜査段階から一貫して犯行を否認していますね。被告人は当時60歳、前科前歴や、この種の痴漢事件を行うような性向を窺わせるような事情もありません。
 また、被告人の犯行を基礎づける客観的証拠はありません。被告人の手に付着していた繊維を鑑定しても、被害者(以下「V」という。)の下着に由来するものかどうか分かりませんでした。
 一方、被害に関するVの供述は内容は、第1審(地裁)では、犯行当時のVの心情も交えた、具体的・迫真的なものでその内容自体に不自然、不合理な点はなく、Vは意識的に当時の状況を観察し把握していたというのであり、犯行内容や犯行確認状況について勘違いや記憶の混乱などが起きることも考えにくいということで、被害状況及び犯人確認状況に関するVの供述は信用できるとされ、原審(高裁)でも同じ判断がなされています。

裁判官A(多数意見) 
 私は、特に満員電車内での痴漢事件という特殊性を考慮すべきだと思います。このような場合、被害事実や犯人の特定について物的証拠等の客観的証拠が得られにくく、被害者の供述が唯一の証拠である場合も多いうえ、被害者の思いこみその他により被害申告がなされて犯人と特定されてしまった場合、その者が有効な防御を行うことが容易ではないという特質が認められます。ですから、本件でも被告人に当該犯行を行う可能性がある客観的事情が認められるなら格別、そうではないのですから、Vの被害供述は特に慎重に行うべきでしょう。
 その観点から、Vの被害供述を見るといくつか不自然な点があるように思うのです。
 第1にVの述べる痴漢被害は相当執拗且つ強度なものですが、Vは車内で積極的に逃げるなどの行動を取っていないのです。
 第2にそのように痴漢被害にあっても積極的に逃げられないほど気弱なVであれば、被告人のネクタイをつかんで「電車を降りましょう」「あなた痴漢したでしょう」と声をかけ、更に下北沢駅で駅長に対し被告人を指さして「この人痴漢です」と訴えることが出来たということとは、必ずしもそぐわない行動のようにも思われます。
 第3に、Vの供述によれば、Aが被告人を痴漢と指摘し、被告人が駅長室まで同行した下北沢駅に着く前に、列車は成城学園前駅で停車し、被告人もVも降りる乗客に押されるように一旦車外に押し出されています。しかし、痴漢被害を受けていれば当然別の車両に移ってもおかしくありませんが、Vは車両を代えることもなく再び被告人のそばに乗車しています。この点は原判決も「いささか不自然」と指摘しているところです。そうだとすると、Vが成城学園前駅までも、ずっと被告人から痴漢の被害を受けていたという供述の信用性については疑いが残るというべきです。そうすると、成城学園前駅から下北沢駅までにVが受けたという痴漢被害に関する供述の信用性についても、疑いを入れる余地があることは否定できないでしょう。
 ですから、Vの供述の信用性を全面的に肯定した第1審判決・原判決の判断は、満員電車内での痴漢事件に必要とされる慎重さを欠いているのではないでしょうか。
 以上から、私は、被告人が本件犯行を行ったと断定するについては、なお合理的な疑いが残るというべきだと思うのです。
 よって、疑わしき派被告人の利益にの原則から、破棄自判して無罪判決をすべきです。

裁判官B
 私は裁判官Aさんに反対です。本件の争点は、被告人と被害者Vのいずれの供述が信用できるかということだと思います。
 Vの供述は、長時間に渡って尋問を受けたものですし、弁護人の厳しい反対尋問にも耐えたものです。被害状況についてもVは,詳細且つ具体的、迫真的に述べており、その内容自体にも不自然、不合理な点はありません。Vは覚えている点については明確に述べ、覚えていない点については、きちんと「分からない」と答えています。十分信用できると思います。
 また、裁判官Aさんのご意見は、被害事実の存在自体が疑問であるから、Vが虚偽の供述をしている疑いがあるということになると思いますが、Vが殊更に、虚偽の供述をする動機を窺わせる事情は記録には出ていないと思います。
 そうなると、被害者Vの供述にその信用性を疑わせるおかしな点があるかということが問題となります。
 この点、裁判官Aさんは、第1に被害者Vが車内で積極的な回避行動を取っていないことが不自然であると仰います。しかし、朝の通勤通学時の小田急線の車内は超過密状態であり、立っている乗客はその場で身をよじるくらいの身動きしかできません。ですからこのような状況下で痴漢被害にあった場合、被害者が避けることは困難であるし、犯人と争いになったり、周囲の乗客の関心の的にされることに対する気後れ、恥ずかしさから我慢していることは十分あり得ることであって、これを不自然と言うべきではないでしょう。
 次に、Vが、車内で積極的に回避行動をしなかったことと、被告人のネクタイをつかんで糾弾した行動がそぐわないというご意見ですが、先ほど述べた理由で我慢を重ねていた被害者Vが、執拗な被害を受けて我慢の限界に達し、犯人を捕らえるために次の停車駅近くで反撃的行為に出ることは十分あり得ますし、非力な17歳の少女ですから、犯人を捕らえるためにネクタイをつかむことは有効な方法といえます。よって、この点からVの供述の信用性を否定することは無理でしょう。
 さらに、Vが成城学園前駅で一旦下車しておきながら、車両を替えることもなく再び、被告人のそばに乗車したことは不自然であると言われますが、Vは降りる乗客にプラットホームに押し出され、他のドアから乗車することも考えたが、犯人の姿を見失ったので迷っているうちにドアが閉まりそうになったため、再び同じドアから電車に乗ったところ、たまたま同じ位置のところに押し戻されたと述べているのです。Vとしては、一度電車を降り、犯人の姿を見失ったのですから、乗車し直せば犯人との位置が離れるであろうと考えても不自然ではありません。また、同じ位置に戻ってしまったのは、Vの意思によるものではなく、他の乗客らに押し込まれた結果に過ぎないのです。裁判官Aさんは、Vが「再び被告人のそばに乗車している」とVが自分の意思でその場所に乗ったようにいうようですが、それはこの時間帯における通勤通学電車が極めて混雑し、多数の乗客が車内に押し入るように乗車してくる現状に対する認識が欠けていると思います。
 以上から、Vの供述は、自然であって、不自然、不合理ではないと思います。
 そればかりではなく、被告人の供述には不自然な点があることを見落としています。
 被告人は、検察官取り調べに対して、下北沢駅では電車に戻ろうとしたことはないと供述していましたが、同じ日の取調中に、急に思い出したなどと言って、電車に戻ろうとしたことを認めています。これは下北沢駅ではプラットホーム状況をビデオ録画していることを察知して、供述を変遷させたのだと考えられます。さらに、被告人は電車内の自分の近くにいた人については良く記憶し具体的に供述していますが、被害者Vのことについては殆ど記憶がないと供述しており、被告人の供述には不自然さが残ると思います。
 私は以上から、原判決の認定に事実誤認はないと考え、上告棄却を主張します。

裁判官C
 私は裁判官Aさんに賛成です。
 そもそも痴漢事件について冤罪が争われている場合に、被害者とされる女性の後半での供述内容について「詳細且つ具体的」、「迫真的」、「不自然・不合理な点がない」などという一般的・抽象的な理由により信用性を肯定して有罪の根拠とする例は、相当数あったのではないかと思います。
 しかし私は、痴漢事件には次のような特殊性があり、被害女性の公判での供述が前述のようなものであっても、他に被害女性の供述を補強する証拠がない場合には、「合理的な疑いを超えた証明」に関する基準の理論との関係で、慎重な検討が必要だと思います。
 第1に、混雑する車内での痴漢事件は、時間的にも空間的にも、当事者の人的関係という点から見ても、単純且つ類型的なものが多く、犯行の痕跡も(加害者の指先に付着する繊維や体液を除けば)残らないため、単純に「触ったか否か」が争われる点に特徴があります。このため、普通の能力を有する者(例えば十代後半の女性)がその気になれば、その内容が真実であると、虚偽、錯覚ないし誇張等を含む場合であるとにかかわらず、法廷で「具体的で詳細」な体裁を整えた供述をすることはさほど困難ではありません。(複雑な手順を踏んだ犯行であれば本当に体験した者でなければ具体的で詳細な供述は困難ですが、痴漢という犯行形態では、必ずしもそうではないのです。)その反面、弁護人が反対尋問で供述の矛盾を突き虚偽を暴き出すことも、裁判官が「詳細且つ具体的」「迫真的」、あるいは「不自然・不合理な点がない」などという一般的・抽象的な指標を用いて供述の中から、虚偽、錯覚ないし誇張の存否を見つけ出すことも決して容易ではないのです。このように、本件のような痴漢犯罪被害者の公判における供述には、もともと、事実誤認を生じさせる要素が少なからず潜んでいます。
 第2に、被害者が公判で供述する場合は、被害事実立証のために検察官側の証人として出廷することが殆どです。その場合検察官の要請により事前に面接して、尋問の内容及び方法等について詳細な打ち合わせをすることが広く行われています。痴漢犯罪について虚偽の被害申出をした場合刑事上・民事上の責任を負うこともありますから、一度被害申告した被害女性が公判で被害事実を自ら覆す供述をすることはありません。また検察官としても被告人の有罪立証の頼りの綱ですから、捜査段階の供述調書などの資料に沿って矛盾のない供述が公判で得られるよう入念に打ち合わせがなされます。この行為は刑事訴訟規則191条の3で法令の規程に沿ったものですが、この打ち合わせが念入りに行われれば行われるだけ公判での被害者の供述は、外見上「詳細且つ具体的」、「迫真的」、で「不自然・不合理がない」ものとなるのは自然の成り行きです。裏を返せば、公判での被害者の供述が「詳細且つ具体的」、「迫真的」、で「不自然・不合理がない」ものであっても、それだけで被害者の主張が正しいと即断することは危険が伴い、そこに事実誤認の余地が生じます。
 このように、満員電車内での痴漢事件については特別な事情があるのですから、冤罪が真摯に争われている場合には、例え被害女性の供述が「詳細且つ具体的」、「迫真的」、で弁護人の反対尋問を経ても「不自然・不合理がない」可のように見えるときであっても、その供述を補強する客観的証拠がない場合には裁判官が有罪の判断に踏み切るについては「合理的疑いを超えた」証明の観点から、問題がないかどうか格別に厳しく点検をする必要があると思います。
 本件の場合、被害者の供述を補強する証拠もなく、被害者の供述に特別に信用性を強める方向での内容までは含んでいないでしょう。
 一方、裁判官Aさんが指摘された第1~第3のように、被害者Vの供述の信用性に積極的に疑いを入れるべき事実が複数存在するのですから、Vの供述はその信用性において一定の疑いを生じさせる余地を残したものであり、被告人が有罪であることに対する「合理的な疑い」を生じさせるものと言わざるを得ないでしょう。
 したがって、本件では被告人が犯罪を犯していないとまでは断定できませんが、逆に被告人を有罪とすることについても「合理的な疑い」が残るという、いわばグレーゾーンの証拠状況にあると判断せざるを得ないのです。
 よって「疑わしきは被告人の利益に」の原則を適用して、無罪の判決をすべきです。

裁判長
 私は、上告審である最高裁判所の事実認定の在り方として、事実認定に関する原判決の判断の当否に介入することには自ずから限界があると思っています。あくまで事後審としての立場から原判決の事実認定に重大な疑義が存するか否か、及びそれらの疑義が、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるに足りるものであるか否かを審査すべきです。
 本件では、被害者Vの被害事実に関する供述の信用性の有無のみが問題になります。そこでVの供述を検討します。
 第1にVの供述内容は捜査段階からほぼ首尾一貫しており、弁護人の反対尋問にも揺らいでいません。
 第2に確かに、裁判官Aさんの指摘された第1~第3の点は問題として残りそうですが、裁判官Bさんも述べて下さいましたが、被害者Vの方で、合理的な説明がなされているように思います。ですから、裁判官Aさんご指摘の点だけで、Vの供述について「いささか不自然な点があるといえるものの・・・・不合理とまではいえない」とした原判決の認定に、著しい論理法則違背や、経験則違背を見出すことは出来ないように思います。
 このように成城学園前駅までの痴漢被害についてのVの供述の信用性を肯定した原判決の認定が不合理とまでは言えませんし、その他にVの供述の信用性を肯定した原判決に論理法則違背・経験則違背は見あたりません。さらにVの供述内容と矛盾する重大な事実の存在もありません。
 以上のことから、事後審である最高裁判所としては、Vの供述の信用性について原判決と異なる認定をすることは許されないと言うべきです。
 更に言えば、仮にVが虚偽の被害申告をしたのであれば、その虚偽申告の動機がはっきりしませんし、Vの過去の痴漢被害歴の有無、その際の対応等も不明です。被告人としても犯行のあった4月に助教授から教授に昇進したばかりであり、犯行のあった日の2日後に就任後初の教授会が予定され、被告人は所信表明を行う予定があった、などの事実もありますが、仮にそれらの事実が存在したとしても、この最高裁判所が上告審である以上、原判決を破棄することが許されないことはいうまでもないと思うのです。
 以上から私の結論は、上告棄却です。

裁判官D
 私の意見が最後になりますが、結論的には裁判官A・Cさんと同意見です。
 本件に置いては、被害者Vと被告人の供述がいわゆる水掛け論になっているのであって、それぞれの供述内容をその他の証拠関係に照らして十分に検討してみてもそれぞれに疑いが残り、結局真偽不明であると考えるほかないのであれば、公訴事実は証明されていないことになるはずです。言い換えれば、本件公訴事実が証明されているかどうかは、被害者Vの供述が信用できるか否かに全てが係っています。
 満員電車内での痴漢犯罪という特殊性からすれば、裁判官Cさんが指摘されるように、被害者の供述内容が「詳細且つ具体的」、「迫真的」、で「不自然・不合理がない」といった表面的な理由だけで、その信用性をたやすく肯定することは危険です。
 本件に置いては、少なくとも裁判官Aさんが指摘されるように、被害者Vの供述にはいくつかの疑問点があります。その反面、被告人にはこの種の犯行(しかも相当悪質な部類)を行う性向・性癖があると窺わせるような事情は記録上見あたらないのですから、これらの諸点を綜合して勘案すれば、被害者Vの供述の信用性には合理的な疑いを入れる余地があるというべきです。
 誤解して欲しくないのは、これらの諸点によっても、被害者Vの供述が真実に反するもので被告人が本件犯行を行っていないと断定できるわけではなく、ことの真偽は不明だということです。
 なお、裁判長は、最高裁判所が事後審であることから、原判決の当否に介入することは限界があるとお考えのようですが、最高裁判所が事後審であることが、公訴事実の真偽が不明の場合に、原判決を維持するべきであることを意味するものではないと思います。
 殊に原判決が有罪判決であって、その有罪とした根拠である事実認定に合理的な疑いが残るのであれば、原判決を破棄することは最終審たる最高裁判所の職責とするところであって、最高裁判所が事後審制であることを理由に、まるで有罪の立証責任を転換したかのごとき結論を採るべきではないと、私は信じています。
 以上から私は、原判決破棄、無罪判決をすべきだと考えます。

裁判長
 以上で、この第三小法廷の結論が出ましたね。
 原判決破棄、無罪判決で判決ということで、後は各自のご意見をお書き頂くということにしましょうか。
 

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