ギックリ腰を患って分かったこと。
・歩行者、自転車が怖いこと。
とにかく、歩くのが精一杯なくらい痛い場合があるので、急な進路変更、体重移動はできません。また、すれ違うときに肩が当たるくらいでも激痛必至なので、とにかく、他の歩行者・自転車に近寄らないよう、十分警戒して歩く必要があります。また、歩行スピードがかなり落ちるので、歩行者用信号が点滅し始めると、もう道路を渡ることは出来ません。急いで渡ろうとする人がすぐ近くを走りすぎると、ドキッとします。
・階段の手すりが有り難いこと。
階段を昇降する際には、結構腰に負担がかかるため、あらゆる階段で手すりが有り難く感じます。そうはいっても、階段の手すりは、通常通路の両はしにあるため、私がヨチヨチと階段を下りている際に、階段の端っこを上ってきて、進路を譲ろうとしない若造とは一瞬鉢合わせ状態になってしまいます。そのときには若造の「何や、このオヤジは!」という無言の圧力にさらされます。 また、階段の手すりが思ったより汚れている場合も多く、これは考える必要があるかもしれないと思いました。
・満員電車は痛いこと。
満員でなくても、電車の中で長時間立つことは苦行になります。腰の負担を軽減するため、周囲に分からないように、できるだけつり革にぶら下がり、腰に重量がかからないようにするのです。しかし、降車する人が後ろを通過するたびに、身体が少し当たりますので、その際には、腰に相当な痛みが走ります。
・やっぱり痛み(辛さ)は見えないこと。
周囲から見れば、全く痛みのない行動が、私にとっては痛みを伴う行動となるので、私が痛がっていることが不思議に思われるようです。この魔女の一撃がどれだけ痛いかについては、体験してみて下さいとしか言えません。特にやっちまった初日は、四つんばいで這うことすら大変な状態でした。
考えてみると、上記の各点は、いずれも健康なときには気付かないことであって、人間は、やはり相手の立場に立って考えることは難しいものなんだ、と改めて感じさせられました。