決して大ヒットした曲、とまでは言えません。
しかし、映画「CASSHERN」の主題歌として映画のラストに流れたこの曲は、言葉で簡単に説明できない程、観客の心を揺り動かしたのではないかとわたしは、思っています。
非常に素晴らしい歌詞でもありながら、謎めいた部分もある歌詞です。
少しだけ、この名曲の歌詞について考えてみました(あくまで私見です。宇多田ヒカルさんが全く違う解説をされていても、わたしの思いこみで書いていますので、ご了承下さい)。
「自分の幸せ願うこと、わがままではないでしょ。それならあなたを抱きしめたい、出来るだけギュッと。」
と歌った後で、宇多田ヒカルは
「誰かの願いが叶うころ、あの子が泣いているよ。みんなの願いは同時には叶わない。」
という歌詞をつけています。
そして短い間奏の後、
「小さな地球が回るほど 優しさ身に付くよ。もう一度あなたを抱きしめたい、出来るだけそっと。」
と歌って締めくくります。
「出来るだけギュッと」が「出来るだけそっと」に変わっています。優しさを身につけ、自分中心に考えていた望みを捨て、相手にも配慮した希望へと変わっているように思います。あるいは、「あなた」を出来るだけそっと抱きしめた後、宇多田ヒカルは「あなた」のことを考えるあまり、大好きな「あなた」の元を去らねばならないという決意をしているのかもしれません。
なぜなら、曲の中盤で、「自分の幸せ願うこと、わがままではないでしょ。それならあなたを抱きしめたい、出来るだけギュッと。」と自分の望みを切なく歌い上げる直前に、
「みんなに必要とされる君を 癒せるたった一人になりたくて 少し我慢しすぎたな」
という、今までの歌詞とはかなり口調が異なる歌詞が突然出てくるのです。
これまで一人称で「わたし」・「あなた」で紡いできた歌詞が、突然その部分になると「君」となります。
素直に考えれば、「わたし」・「あなた」で歌っているのは宇多田ヒカルです。歌の途中で急に「君」と言い換えたり、男性口調に換える必要はありません。そうだとすれば、この部分は、むしろ宇多田ヒカル本人を「君」とよべる存在から、宇多田ヒカルに対して向けられた詩であるように思われます。
つまり、歌詞のこの部分は、「みんなに必要とされる君(宇多田ヒカル)を癒せる、たった一人であったはずの、当時夫であった紀里谷氏(映画「CASSHERN」の監督)が、宇多田ヒカルを大事にするが故に我慢しすぎていた」ということに、宇多田ヒカルが気付いてしまったことを表したものではないでしょうか。
宇多田ヒカルは、自分を大事にしてくれているが故に、紀里谷氏が我慢しすぎていたことを知ってしまった。それでも、紀里谷氏が大好きだった、だから、「自分の幸せを願うことはわがままではないでしょ」と、歌い、「それならあなたを抱きしめたい、出来るだけギュッと」、と歌った。
けれども、残酷であるけれども、「みんなの願いは同時には叶わない」のです。
(もしかしたら、宇多田ヒカルは、紀里谷氏から、「このまま僕らの地面は乾かない」と言われたのかもしれません。この部分も若干歌詞に違和感を感じる部分です。)
だから、最後に、せめてもの望みとして、こう歌わざるを得なかった。
「もう一度あなたを抱きしめたい。できるだけ・・・・そっと。」
そしてそのことに宇多田ヒカルが気付くためには、地球が何度も回るだけの時間が必要だったのではないでしょうか。
宇宙全体から見れば本当に小さな地球です。宇宙を流れる時間に比べれば地球が回る時間など、そして私達の一生など、一瞬の出来事でしょう。しかし、優しさを身につけなければならない私達にとっては、地球が何度も回らなければならないほど、途方もなく長い時間がその道のりには必要なのかもしれません。
その他にも、いろいろ想像できますが、とにかくこの素晴らしい曲を、一度お聞きになって下さい。そして、歌詞の内容について考えてみるのも、たまには良いのかもしれません。