バイクの思い出~その2

(続きです) 

 原付で、バイクの楽しさの入り口をのぞくことができた私ですが、その世界が結構性に合っていたのか、より速く・より遠くまで行ける次の段階を目指すようになりました。

 当時は、暴走族に対する対策の名残で、自動二輪免許は、小型限定(排気量125ccまで)・中型限定(排気量400ccまで)、限定なし(排気量400cc以上無制限)の3種に別れていました。

 小型・中型までであれば教習所に通えば免許を手にすることはできましたが、限定を解除するためには教習所では不可能で、免許試験場での実技試験に合格する必要がありました。しかも、もともと暴走族を大排気量バイクに乗せないために、このような免許区分がなされていたのですから、限定を解除する試験が簡単ではその意味がありません。

 この試験を限定解除試験といいましたが、上記の理由から限定解除に合格するには不必要に厳しい試験が科せられていました。 都道府県によって違いますが、免許試験場の試験官が可能な限りイチャモンをつけて合格者を出さないようにしていたため、合格率は概ね数パーセント以下で、司法試験より難しいのではないかとまで言われていました。私も合格するため何度も京都の伏見にある免許試験場に通いましたが、ある程度腕に覚えのあるライダー達が、20名以上トライして合格者ゼロという日が何度もありました。

 しかも京都の場合、試験は予約制で1~2ヶ月に1度くらいしか受験させてもらえません。当時のバイク雑誌には、どの都道府県が合格しやすいかという情報も流れており、合格しやすい県に住所を移して、合格したという話も投稿されたりしていたように思います。

 ですから、晴れて大型バイクに乗れたとしても、まかり間違って免許が取り消されでもすれば、再度極めて厳しい試験に合格しなければ同じバイクに乗れなくなります。合格率数パーセントですから、以前合格できたとしても次も合格できるとは限りません。したがって、当時限定解除試験に合格したライダーは、非常に免許を大事にしており、慎重に模範的な運転をする人が多かったように記憶しています。

 中型免許を教習所で取得した後、限定解除を目指した私も、相当苦労しました。

(続く)

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