ひどく感動する音楽を初めて聴いたとき、素直に、いい曲だったな、感動したな、という想いが湧いてくる直前の段階で、どこかで一度聞いたような気がすることはありませんか?
大抵は、いい曲だったな、感動したな、という気持ちに呑み込まれてしまい、どこかで一度聞いたような気がすることを忘れてしまうのですが、少なくとも私は、初めて聴いた曲であっても、そのような気がすることが多いようなのです。
何故そのような気がするのか、私にも説明が難しく不思議なところですが、もしこの感覚が私だけのものでないとして、敢えて仮説を立てるのであれば、次のように考えることもできるかもしれません。
人は誰しも、感動の根幹となるものを持って生まれてくるのであって、その感動の根幹を揺り動かすことができる曲が、その人にとって感動に値する音楽なのかもしれません。作曲という作業は、その感動の根幹(感動を生み出す部分)に触れる音・フレーズを探り当てて、その音を紡いで曲にする作業にように思えます。
もともと、生まれながらに持っている部分に触れられるので、どこかで(あるいは生まれる前に?)聞いたことがあるような気がする感覚が、一瞬ですが感じられるのではないでしょうか。
もちろん、個々の人が持って生まれてくる感動の根幹はそれぞれ違うものであって、ある人には感動的な曲でも、別の人にとっては騒音に近い場合もあるかもしれません。しかし、多くの人を感動させる曲は、より多くの人の感動の根幹に作用する部分を探り当てた曲だったということになるように思えます。
そう考えてみると、誰が言いだしたのか知りませんが、「心の琴線に触れる」という言葉は、すごい言葉だと思います。誰もが、自分の心に響いたときにだけ、良い音色を奏でる琴を心に持っていて、感動とはその見えない琴の弦をふるわせ、その人だけに分かる美しい音色が心の中に鳴り響いている状態であることを示しているように思うからです。
出来る限り、精神的にも、身体的にも、心の琴線によって美しい音色が鳴らせる状態でいたいものですね。