教会で聴く音楽

 教会と聞くと堅苦しいように思われるかもしれませんが、ヨーロッパのキリスト教教会は、一部を除いて原則として、日中は立ち入り自由のところが多いようです。

 街の散策に疲れたり、急な雨で困ったときは、教会の中で休ませてもらったりしたこともあります。

 たまに、教会に立ち寄った際に、パイプオルガンや合唱の練習に出会うこともあります。私は、オルガンの音色がとても好きなので、そのようなときにはラッキー♪と思って、しばらく聞いていたりします。

 特にバッハのオルガン曲が演奏されているときなどは、とても素晴らしい気分にさせてもらえることもあります。私の知人が、教会での音楽は、音楽がぐるぐる回って昇っていくようだ、と表現したことがありますが、私の印象は似ていますが、少し違います。

 上手く言えないのですが、教会で美しい音楽を聴いた際、私達の座っている地上から、天に向かって音楽という名の儚く、美しく、壊れやすい、硬質の透明な螺旋階段が、すっとのびていくように思えるのです。そして、その階段は、その儚さ・美しさ・壊れやすさ故に、無論私達自身が登れるものではありません。私達の切なる願いを届けるものでもないようです。地上から天へと向かって伸びる階段ではありますが、人間が主体となって伸ばしていく階段ではないようにも思います。

 むしろ天上から何かをさしのべるために、神(という存在があるのであればですが)が、演奏家に命じて音楽を奏でさせ、天と地を一瞬だけ結ばせるように取りはからった、その結果、地上と天を音楽で結ぶことが許されているのではないかと感じられます。ですから、地上から天へと向かって伸びる階段ではあるのですが、同時に天から地上へともっと大きな流れがあるような気がするのです。

 結局、何のことかよくわからなくなっちゃいましたね。感覚を伝えようというときには、いつも言葉足らずになってしまい、もどかしい思いをします。

 とにかく、もし、機会があれば、是非一度教会での音楽を体験されることをおすすめします。

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