平和劇場のこと

 私の出身地である、和歌山県太地町はわずか人口3~4000人の小さな漁師町ですが、その町にも、昔は映画館がありました。

 私のおぼろげな記憶ですが、名前は「平和劇場」であり、木造で外壁がコールタールでも塗ったかのように黒く、「平」「和」「劇」「場」と一文字ずつの四角い看板がその黒い外壁にかかっていた覚えがあります。館内は床がはがれて一部土間のようになっており、椅子は固いかスプリングが駄目になっていてへたっているかいずれかで、天井には大きなファンがいくつかゆっくりと回っていたはずです。

 映画が上映されはじめると、青白い光の束の中を、誰かのたばこの煙がゆっくりと立ち上っていくのがよくわかりました。売店もあり、そこでラムネを買って外に持ち出し、お店に返さなければならないビンを外で割って、中のビー玉を取り出して自分のものにした記憶があります。本当はいけないことなので、当時の私には、背徳の遊びであったのでしょう。ドキドキしたことだけは何故か鮮明に覚えています。

 私の両親などは、平和劇場をよく覚えており、西部劇などで悪漢が主人公を拳銃で狙っているシーンになると、「あっ、わるもんが狙ろとろで。気ぃつけやなほれ(悪人が狙いをつけているので、気をつけなさい)。」と主人公に大勢の人が一斉に大声で注意する、主人公のピンチに騎兵隊が助けに現れると割れんばかりの拍手が巻き起こる、というのが普通だったそうです。

 私はその映画館で、ゴジラやガメラのシリーズを見たと思うのですが、あまり映画の内容自体の記憶は、はっきりとしません。そして平和劇場は、私が幼稚園の頃に閉鎖になってしまいました。今では、跡地はスーパーマーケットになっています。

 今も、実家に帰った際に近くを通ると、「平和劇場」があったことを思い出します。しかし、私が大きくなったからなのか、私の記憶が間違っているからなのかわかりませんが、こんなに小さな敷地に映画館があったのかと思うほど狭い場所に感じられます。それと同時に、私達の両親の時代の人たちのように心から映画の世界に入り込んで楽しむことができていない自分が、少し損をしているような気がしてしまいます。

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