法科大学院の志願者

 法科大学院に進学しようとする人は、原則として法科大学院適性試験を受験しなければなりません。

 ですから、法科大学院適性試験を受験しようとする人の数を見れば、どれだけの人が法曹を目指しているのかを把握することができます。大学入試センターの公表した資料によると、驚くべき実態が明らかになっています。

 平成15年度法科大学院適性試験受験者数  28,325人

 平成16年度法科大学院適性試験受験者数  21,298人

 平成17年度法科大学院適性試験受験者数  17,791人

 平成18年度法科大学院適性試験受験者数  16,625人

 平成19年度法科大学院適性試験受験者数  14,266人

 明らかに受験生が減少しています。わずか5年で半減しています。これは法律家を目指す人間が激減しているということです。法律家という仕事に魅力が失われているということです。

 2007年8月27日の私のブログに、次のように書きました。

(以下私のブログからの引用)

 ところが、今後、弁護士を目指す人の生活面はどうなるのか。

 まず、高いお金を支払って法科大学院に進学する必要があります。

 次に法科大学院に進学しても、きちんとした実力をつけてもらえるかは、未知数です。卒業できるかどうかのリスクもあります。

 なんとか卒業しても新司法試験に合格しなければなりません。

 新司法試験に合格しても苦難の道はそれでは終わりません。

 司法修習生の給与が2010年からは支給されなくなり、貸与制になります。また司法修習生はアルバイトが出来ませんので結果的に借金して修習生活を送らねばなりません。

 そして、借金で修習生活を送っても、2回試験(司法修習生考試)に合格しなければ法律家の資格はもらえません。

 仮に2回試験に合格しても、弁護士が余っているのですから、就職が出来ない可能性があります。運良く就職できても、弁護士余りなのですから新人弁護士の給与は、たいして期待できません。更に次から次へと新たな弁護士が激増してくるので、育ててもらう前に使い捨てられるかもしれません。

 弁護士会によって異なりますが、弁護士登録するだけで50~100万程度かかりますし、登録後も弁護士会費が毎月4~5万円かかります。

 こうなってくると、もはやお金持ちしか弁護士になれないし、弁護士としてやっていけないのではないかという疑問すら出てきます。また、法科大学院・司法修習・弁護士登録などの費用を借り入れなければならないとすると、相当額の借金を背負って弁護士生活をスタートしなければならなくなる可能性が大です。そのように借金まみれでスタートする弁護士が、現実問題として社会正義の実現のために奔走できるでしょうか。私は(将来的に経済面で安定すればともかく、そうでない限り)無理だと思います。

 以上の点から、法律家には次第に魅力がなくなっているのだと思います。法科大学院の先生方は合格率さえ高めれば志願者は増加するかのように考えているようですが、全く現実を見ていないと思います。

(引用終わり)

 多くの人が法律家を目指さないのであれば、絶対に優秀な人材は法曹界に集まりません。多くの人が法律家を目指し、頑張って競いあうからこそ、優秀な人材を法曹界に導くことができるのです。人権を守るための最後の砦となる司法権、法の支配、を維持するための人材が脆弱では、国民みんなの人権が守られなくなります。

 言葉を換えていえば、多くの人に法律家になりたいと思ってもらう必要があり、その中で、しっかり競争させて、意欲と実力のある優秀な方に法律家になって頂く必要があるのです。そのためには誰もが法律家になりたいと思うような魅力のある職業でなければならないはずです。

 法科大学院は、(ごく一部の優秀な方をのぞき)優秀な法律家を育てることができないでいるにもかかわらず、自らの失敗を棚上げして、法科大学院に志願者が集まらないのは、合格者数を増やさないからだと主張しています。しかし、その主張は間違っています。従来の司法試験のように合格者が少なくても魅力のある仕事には志願者が自然と集まるものです。合格者が多くても魅力のない仕事には志願者はそう増えません。法科大学院制度は、合格者の増加と一体になって、明らかに法律家の職業としての魅力を失わせる制度であり、その結果優秀な人材を法曹界に導くためには邪魔な存在となっています。

 いい加減に、法科大学院自らが、失敗を認めるべき時期に来ていると思います。早急に法科大学院制度を廃止しないと、更に法律家の質の低下を招くだけです。もともと司法改革は国民のためのものです。国民の害になることが明白な法科大学院制度自体が司法改革の目標に反している存在なのです。

 おそらく、法科大学院制度を強力推進した大学教員達は、自分達の教育能力を過信していたのでしょう。それと同時に司法試験合格者のレベルをあまりにも低く見積もりすぎていたのではないでしょうか。

 それでも大学教員の方が、法科大学院出身者の方が間違いなく優秀だと仰るのであれば、旧司法試験時代の司法修習生を担当したことのある司法研修所教官に、現在の法科大学院出身者の司法修習生を見てもらい、比較すればすぐに結論が出るはずです(両方を見た新60期の研修所教官が、法科大学院卒業生を酷評していることは既に何度も述べたとおりです。)。また、2回試験の結果を比較しても、相当程度解ると思います。

 その当時は、(噂で聞きましたが)民法で不動産が即時取得できると考える修習生や、刑法で罪責を検討するのに違法性から検討する法科大学院卒業生のように、基本中の基本が解っていないまま司法試験に合格する者は、絶対にいなかったはずです。

 過ちを正すには、早いほうがいいに決まっています。国民のためを考えれば法科大学院に遠慮している時間などないでしょう。もともと司法改革は国民のために行うものなのですから。

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