鴨川の桜

 私は京都に住んでいるのですが、通勤電車に乗る駅に歩いて向かう途中で、鴨川を渡ります。

 いま、京都では、ちょうど桜が見頃になりつつあります。満開の桜はそれだけでもとても美しいのですが、特に川沿いに咲く桜は、私にとっては、美しく感じられます。

 ただ、単に「美しくていいなあ」というだけの印象ではなく、ちょっぴり寂しいような悲しいような気持ちが次第にその美しさに混じって感じられるようになりつつあるようです。

 その想いは、年齢を重ねるごとに強くなっていくような気がします。不思議と、そのような寂しいような悲しいような気持ちが強くなるに従って、桜の花の美しさが更に増していくようにも思えるのです。

 しかし、どうもそれだけではないようです。私がこの世からいなくなっても春になれば花を咲かせ続けるであろう桜の木に対する、わずかながらの嫉妬も、正直言えば、あるように思えます。

 おそらく、この美しい花が、あとわずかの時間で散ってしまうこと、そしてこの桜の花に象徴されるように世界のそして宇宙の全てが時に沿って流れて行き、決して今のままではいられないこと、しかし私がいなくなった後も何事もなかったように桜の木は花を咲かせ続けるであろうことが、川沿いの桜の短い命によって、無意識にではありますが自覚させられるからなのかもしれません。

 「願わくは・・・・」と詠んだ西行法師の気持ちが、ちょっぴり理解できる年齢になってきたのかもしれませんね。

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