本日の朝日新聞朝刊の伊藤教授のご意見は・・・その2

 次に②の問題に入ります。伊藤教授は新聞で取り上げられた事件を持ち出して、弁護士の「需要が飽和状態」であるということは、疑問であると言われています。

 学者であるならば、新聞から得られる印象ではなく、ある程度の根拠を持って発言していただきたいものです。

 司法統計によれば、地方裁判所と簡易裁判所に提起された民事・行政訴訟事件は平成15年あたりをピークに減少しており、地方裁判所では33%程度減少、簡易裁判所でも22%程度減少しています。破産事件も平成15年と比較すると31%の減少を示しています(平成18年の司法統計による)。

 なにより、昨年12月に司法研修所を卒業した法科大学院1期生(新60期生)新人弁護士の就職が極めて困難であったことが明白な弁護士需要飽和の証拠です。弁護士の需要が多くあり、弁護士が不足しているのであれば、新人弁護士は引く手あまたであり、就職が困難である状況など発生するはずがありません。新60期の採用に関して、既に無理して採用した事務所も相当数あるため、新61期の方の就職は更に厳しいと予想されています。

 さらに、弁護士会の行ったアンケート調査でも今後5年間で企業(アンケート回答した1129社)が採用を考えている弁護士数は、わずかに47~127名に過ぎません。
 1年あたりにすると、1,129社も会社があって、弁護士の採用予定はたったの9~25名です。法曹人口増加を求めていたのはもともと経済界でしたが、完全に経済界には需要は見込めないことが明らかになっています。経済界の状況が変わったのです。悪く言い換えれば経済界にだまされたのです。

 弁護士会からの、採用要請についても、ほとんどの企業が応答していないのが現状のようです。

 この状況をどう見れば、弁護士需要が飽和していないといえるのでしょうか?事件も減少している、採用してくれる企業はない、何より新人を採用しようという事務所がない、どこからどう見ても弁護士は余ってきているのです。

 ③の問題に移ります。訴訟社会の到来については、私も本当にあり得るのか疑問があるところであり、伊藤教授の見解について、そう異論はありません。ただ、現在は制度的前提がアメリカと異なっていますが、アメリカのような制度が導入された場合は、相当程度の確率で訴訟社会が生じる可能性はあると思います。その際に、過剰な弁護士が存在していれば、利益第1主義に走る弁護士が一気に後押ししてしまうことになるでしょう。

 なにより、司法研修所教官によれば、法科大学院卒業の司法修習生は、ビジネスロイヤー志向が強いと評されており(法務省のHPに公開されている「第34回司法試験委員会ヒアリングの概要」参照)、利益第1主義に近いところにいるとも言えます。つまり法科大学院卒業の弁護士の傾向が訴訟社会への起爆剤に十分なりうるということです。高い法科大学院の学費を払わされてきて、借金した状態で弁護士をはじめるわけですから、ある意味ビジネスロイヤー志向が強いのもやむを得ないと思います。しかし、伊藤教授のご意見に反しているようで皮肉なものですね。

 最後に伊藤教授の仰る④法曹の数の増加が質の低下を意味してはならない。国民は少数のエリートではなく、豊かな人間性を持った多くの法律家の誕生を望んでいる。過疎地域で教え子が弁護士として頑張っていることからも、そう思う、という点について考えます。

 「法曹の数の増加が質の低下を意味してはならない」、という御主張は私も大賛成です。ただし、その点で法科大学院が既に失敗し、法曹全体の質の低下を招いていることは何度もブログで書いたとおりです。ただ誤解して欲しくないのは、私は法科大学院卒業の弁護士さんでも全員が問題があるといっているのではありません。上位の方は従来の司法試験合格者と勝るとも劣らない力をお持ちだと思います。ただ、中位~下位の方は、残念ながら基礎的な知識・思考が不十分な方が含まれており、結果的に法律家全体のレベルダウンにつながっていると考えているのです。

 次に「国民は少数のエリートではなく、豊かな人間性を持った多くの法律家の誕生を望んでいる。」という主張は、一面において真実です。ただし、きちんとした法的知識と法的能力がある法律家であることが、絶対条件です。伊藤教授の主張にはその点の配慮が欠けています。

 再度医師に例えて説明しますが、豊かな人間性を持った藪医者が多数いても、救える命が救えないのですから、決して国民は幸せにはなれません。藪医者に危険な目に遭わされるくらいなら、豊かな人間性がなくても腕の良い医者を求めるでしょう。法律家として弁護士として最低限度の知識と能力が身に付いていることが前提であれば、豊かな人間性のある弁護士を求めているという主張は正しいと思います。ただ、再度言いますが、伊藤教授の主張はその前提となる絶対条件が欠けています(というより、法科大学院は優秀な法律家を多数生み出しているという幻想を盲信しているのではないかと思われます。)。

 そして、弁護士過疎については、既に弁護士が余っていますから、私が1月9日のブログに書いたとおり、弁護士会執行部が本気になって、自ら犠牲になる気が出れば、すぐにでも解消できるはずです。3000人見直しの決定的反対理由にはなりません。伊藤教授の教え子さんが、過疎地域で活動されているのは立派だと思います。しかし、法科大学院を出てすぐの伊藤教授の教え子さんが過疎地域で弁護士の仕事をされているのであれば、非常に危険があります。私の経験からも言えるのですが、弁護士の仕事はオンザジョブトレーニングが重要な仕事であり、やはり、経験者の下である程度の訓練期間をおくべきなのです。弁護士になると同時に独立することは、研修医期間を経ずにいきなり大手術を行うこともある病院の最前線において、たった一人で活動するようなものです。

 ただ、弁護士過疎について、自分の名誉と保身に走る部分がある日弁連、弁護士会執行部が自ら解決してくれるとは思えません。弁護士としても弁護士会、日弁連の大掃除をしなければならない日が近いのではないかと思います。

 あまりの伊藤教授の現実認識のまずさに、思わず長文になってしまいましたが、長い反論を読んで下さって有り難うございました。

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