日中韓FTAシンポジウムの旅日記~その4

 15:19発で、済南市には、大体18時過ぎに到着。予定よりも20分ほど遅れたようだが、特に車内アナウンスもなかったように思う。

 出口を出るためにも切符を見せる必要がある。

 結局、駅に入る際、ホームに入る際、車内検札、駅を出る際、の合計4回のチェックを受けたことになる。

 夕方に近くなっているにも関わらず、青島よりも相当暑い。

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(済南市駅~出口と入り口は完全に別と思われる)

 山東政法学院の大学院生が、迎えにきてくれていて、ペットボトルの水をくれる。多くの人がペットボトルの水を携帯しているようだ。日本のように水道水がそのまま飲めることが、とても有難いことなのだと痛感する。

 駅からは車で移動。Gさん曰く、中国で一番渋滞がひどい街だということらしい。宿泊先のホテルは、軍も使用しているとのこと。軍が使用するくらいなら上等なのか、それとも質実剛健で簡素なものなのか、肝心なところが分からない。

 車の窓から外を見ると、歩道をバイクが、ガンガン走っている。電動自転車、電動バイクが多く、エンジン音を響かせるバイクは少ない。そういえば、犬や猫、鳩、カラスまで見ていないような気がする。しかし、どこに行ってもマクドナルドとケンタッキーは目につく。

 渋滞がひどいと聞いてはいたが、一応流れていて、身動き取れないという状態までひどいわけではない。

 中国の歴史にも詳しいY弁護士は、道路標識に書かれている文字を見て、「おお~、●●がある・・・」と独り言を言ったり、「○○は△△の時代の××ですか?!」などと、Gさんに聞いたりしているが、GさんよりY弁護士の方が中国の歴史や古典に詳しいらしく、話があまり弾んでいかない。

 たしかに、こっちも、外国人から源氏物語の第九帖にはしびれますよ、舞台はこのあたりなんですかね~とか、平家物語の小督のくだりは感動ですよね~、片折戸していた家があったのは嵐山のこの辺なんですかね~とかマニアックなことを聞かれても困るわな。

 明日の観光について、Gさんがどこか行ってみたいところがあるか聞いてくれる。

 T君が「黄河はこの近くで見れるんですか!?」と歴史に彩られた黄河を見たいといわんばかりの期待に充ち満ちた発言をしたが、X教授は間髪を入れずに「黄河なんて、ただの川ですから」、と、抜けば玉散る氷の刃(やいば)!

 血が出る間もなく一刀両断された、Y弁護士の歴史への憧憬は、一瞬で次回に持ち越し決定だ。結局、明日考えましょうか、という良くある結論に落ち着いた。

 車内では、Gさんがしきりに電話連絡を取っている。電車が遅延したため、予定よりかなり我々の到着が遅れているようだ。

 ようやく、ホテルについたがフロントに荷物を預けるだけで、着替える暇も与えられず、そのまま夕食会場へ。Y弁護士は、移動を前提としたラフな格好だし、X教授もポロシャツなので、かなりラフな日本代表となってしまった。

 歓迎会場は、大きな中華テーブルが据えてあった。もちろん料理は中華料理。「中華テーブルの発祥は日本と聞いていますね。」、とY弁護士が教えてくれる。確かに、S弁護士もテレビのクイズ番組で、目黒雅叙園が発祥だというような話を聞いた気もする。しかし、X教授はそんなことはないでしょう、と仰るし真相は不明。

 巨大なナマコはちょっとつらかったが、他は、さすがは本場中国、4000年の歴史。なかなか美味しい料理がそろっている。

 もともとS弁護士は偏食である。酢の物が苦手、漬け物が苦手、梅干しも苦手であり、日本人のくせに寿司も食べない。当然納豆のように腐敗した(ように思える)物も食べない。「大人になって一番嬉しかったのは、食べたくない物を無理に食べなくてもよくなったことだ」と、海外で、好んで芋虫などのゲテモノ食いをする医学生の甥っ子に話したりするくらいである。

 食べたい物を食べたいだけとって食べる中華テーブル方式は、極めて理に適っていて、偏食人間には有難いところだ。

 ところで、歓迎夕食会では最初に一番エライ人が「#$%’#”~?!”$%#・・・・」とスピーチして乾杯!となるが、それだけでは終わらない。次に誰かが立ち上がってまた「’%&$#$$%#’()・・・・」とスピーチしてまた、乾杯! 

 何人かの人が乾杯の音頭をとったら、また最初のエライ人が乾杯!っとやるので、一人が3~4回乾杯の音頭をとる。

 また1対1でも、多分「あなたの健康に・・・」なんて言いながらだろうけど、乾杯している。

 どうして何度も乾杯するのはよくわからないが、そういう風習らしい。

 山東省方式が中国のスタンダードなんだとの説明を誰かがしていた。

 もともと、アルコールを少し摂取しただけで頭痛に襲われるS弁護士とすれば、乾杯の嵐に襲われたら、幾つ肝臓があってもたりやしない。

 どっかで聞いた話だが、日本人には縄文人系と大陸からきた弥生人系の人がいて、縄文人系の人はアルコール分解酵素をあまり持たないのでアルコールに弱いという話を聞いたことがある。その話が正しければ、ここは大陸。アルコール強者の巣窟である。

 ところがS弁護士に輪をかけて、Y弁護士も下戸である。X教授がアルコールに強いことにすがって、アルコール弱者の二人はなんとか宴会を乗り切ることを決意したのであった。

 乾杯の嵐を、お茶での乾杯という荒技でお茶を濁しつつ、山東省法学会の副会長さん、韓中法学会の会長さん、近隣の大学の教授など、偉い人と名刺交換をする。

 隣の先生は、愛媛大学と愛知大学に留学して勉強していた煙台大学の姜教授とのことだった。日本語がかなり分かってくれる方なので、司法試験の合格率についてお話ししたりする。

 韓国チームは、見た目がちょっと怖い感じで、明日質問してこないかちょっと心配。

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(歓迎夕食会のあと~巨大な中華テーブル)

 宴会の後、いよいよ明日に迫ったシンポジウムでの服装を確認すると、「みんな暑いからどうせポロシャツ程度ですよ。アロハでも良いくらいなんじゃないですか。」とX教授が断言。

 確かにアロハはハワイの正装だそうだけど、中国でそれをやって良いのだろうか。とはいえ、主催者側のGさんも「暑いですからね~、そんなもんですよ。」と太鼓判を押すので、一瞬ポロシャツで出ようかと考えてしまった。

 質問を受けなきゃならないのかについて、Gさんに聞く。確か、X教授からお誘いを受けたときは、「発表するだけで良いから」とのお話しだったし、S弁護士も当然そのつもりで来ているから、一応確認のつもりだった。

 するとGさんが、「質問あるのは当たり前ですね。S先生の発表する敵対的買収は、司会の姜先生も専門家ですね。他にも韓国の先生とか、いっぱい専門家、来てますから。」と超怖いことを言う。

 おいおい、そんな話聞いてませんよ。X教授の顔を「約束が違いませんかね?」という意味で、ちらっと見たが、「国際シンポジウムなんだから、質問があることくらいは当たり前でしょ~」といわんばかりの穏やかな、いつもの笑顔がそこにある。

 うう、ゴルフのときだけでなく、ここでもX教授に、してやられたか。ゴルフのときにマリオネットSと呼ばれた屈辱の日々が蘇る。しかし、ここは、X教授の笑顔の裏を読み切れなかったこっちが悪い。

 ただ、別に日本語ならやり合えるが、中国語や韓国語で言われても的確に対応できるのか少し不安だ。

 さすがに、X教授も難しい顔になったS弁護士の気落ちを察したのか、「まあ、どうせみんな日本語なんか分かりませんから、適当にしゃべってくれたら、G君が上手にまとめてくれますよ。」と慰めてくれる。一瞬、その手があったか!とも思ったのだが、司会の姜教授は日本に留学していたんだよな~、適当なことをしたらばれるじゃないか。

 しかしここまで来たら、開き直ってやるしかない。質問を受けたら日本の現状をきちんと説明してやれば良いんだし。そう考えたら、少しは気が晴れた。人間、気の持ちようなんだな~と妙に納得したりするS弁護士だった。

 ホテルの部屋はダブルベッドの二人部屋のシングルユース。かなり立派だ。軍部は良いホテルを使えたりするのだということを感じる。

 部屋の中では、一応ワイファイがつながる。

 明日は、7時に朝食会場で待ち合わせの予定。

追記

 夜中に暑くて目が覚めた。エアコンを見ると27度。これは暑いや、と思ってエアコンをいじっていたがうまく行かない。

 お日様のようなマークが液晶に表示されているが、それはお日様に照らされて暑いときにそれを押せばいいのか、お日様に照らされるように暑くするためにその位置にするのか、がわからない。

 寝ぼけ眼で、10分ほど、あれこれボタンを押して格闘していると、そのうちだんだん気温が上がり、ついにエアコン表示は29.5度になってしまった。

 これでは発表前に脱水症状を起こして命が持たないかもしれない。鏡で見たら眼は寝不足で充血している。
電話でフロントを呼ぼうにも、どの漢字がフロントを示しているのかわからない。つまり何番がフロントかわからないので、かけられない。もちろん、既に夜中の2時だから、部屋番号は分かっているが、Y弁護士をたたき起こすこともできない。

 しかたない。人事は尽くした。しかしもうダメだ。

 いじれば温度が上がっていくイケズなエアコンはストップだ。

 ぬるいシャワーを浴びて体温を下げ、窓を開けて寝ることにした。幸い網戸はついている。室内よりは外の方がすこしだけ涼しいようだった。

(続く)

日中韓FTAシンポジウムの旅日記~その3

 Kさんが連れてきてくれたのは、半地下の喫茶店。

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 そこで、Gさんの通訳で中国には弁護士補のようなものがあり、Kさんは理系の大学を出てすぐに司法試験に合格して弁護士に成ったばかりであることを知る。弁護士補の身分証明書は青で、1年経てば赤の身分証明書になるそうだ。S弁護士が日弁連の、Y弁護士が大阪弁護士会の身分証明書を出し、身分証明書の話で少し盛り上がる。

 最初にレモンを浮かべた水が出てくるが、中国の水道水は飲めないと聞いている。Gさんに確認すると、水道水を蒸留した水を使うので大丈夫とのこと。メニューは写真入りで手作り感満載。出されたぬるい水を飲みながら考える。

 注文は、暑かったのでアイスコーヒー。X教授も同じ。GさんとKさんはホットコーヒー。

 しばらくたってやってきたアイスコーヒーは、日本のアイスコーヒーとは違っている。まず氷が見えない。飲んでみても冷たい!という感じはない。小さく溶けかけた氷を一つ見つけたが、ここでのアイスコーヒーとは、「熱くはないコーヒー」という意味のようだった。

 スイーツ好きのY弁護士はスイーツ1択。感想は、「意外にいけます」というものだった。しばらく時間をつぶして、お手洗いを完了し、青島駅に向かうことになる。

 喫茶店のカウンターの後ろには、チェ・ゲバラのポスターが貼ってあった。ゲバラはカストロと共に、革命によりキューバに社会主義国家を建設した英雄の一人とされている。中国なら毛沢東でもおかしくないところだが、なぜか、ゲバラだ。ちなみに、「キューバは格差社会ではない」との旅行記を読んだことがあるから、現代中国の格差社会へのささやかな反抗なのかもしれない。

 店を出る際に指さして、チェ・ゲバラ、というと入れ墨をした店員の兄ちゃんが頷いて笑っていた。

 駅まで送ってもらってKさんといったんお別れ。

 Gさんが、チケットを受け取ってきますと言ってパスポートを持って駅の切符売り場の方に行く。その間しばらく、時間がかかるとのこと。

 駅前の広場を見ると、遠くにケンタッキー、マクドナルドが見える。それに「李先生」という店は、中国のファストフードであることを教わる。さっきまで暑かったが、日陰に入って風が吹くと意外にひんやりする。湿度が低いのかもしれない。

 物乞いが2度もやってきて小額紙幣を握りしめた拳を突き出して何か言っていたが、生憎小額紙幣の持ち合わせはない。かといって、六枚しかない100元札を大盤振る舞いするほど豪気でもない。またX教授が、「一度お金を渡すとすぐに情報がまわって10人ぐらいが、あっという間にたかってきますよ。」と注意してくれる。

心は決まった。

スミマセンが、もっとお金持ちの方にお願いするか、頑張って働いて下さいね、だ。

 駅の真ん前に「青鉄特警」と大書した、でかい警察官詰め所がある。拳銃ではなく、自動小銃を肩から下げた警官らしき人が、そのバルコニーのようなところを巡回して睨みをきかせている。

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(向こう側に巡回したときに急いで撮影)

 ちょっと怖いですね~と話すと、「中国ですからね。いろいろ弾圧してるんでしょう。外に出てないだけで。」と、怖~いことをX教授がさらっと仰る。

 そういえばハリウッド映画「2012」で、地球滅亡が予測された後、一部の富裕層・政治家などが庶民を見捨てて自分達だけ脱出しようと、一般に知られないように情報統制しつつ人類の箱船を造船していたが、その造船場所が中国だったという話があった。大量に人員動員が可能でかつ情報統制もできる可能性がある国が存在するとしたら、その国は中国である、という設定が全世界的にも最も説得力があったということなんだろうが、そんな感じなのだろうか。

 ここで、X教授から、一番大事な言葉を覚えておくようにと指示が出た。ツァーサ・サイナーリという言葉だ。??と思っていると、「トイレはどこですか」という意味だそうだ。確かに大事だ。特に水が悪いとお腹を壊しやすいし、中国でトイレットと英語で言っても、ほぼ誰も分かってくれないらしい。何度か声に出して、覚えようとするが、なかなか覚えられないのは年のせいか。

 Gさんがチケットを手にして戻ってくる。チケットにはパスポートナンバーと氏名が印刷されている。確か当初は青島から済南まで高速道路で移動する予定だったそうだが、当局から、安全面から高速道路はまかり成らんとのお達しがあったそうで、結局鉄道になったとのことだった。そんなところまで当局が関与してくるところは、やはり社会主義国家の片鱗が見え隠れする。

 当局がどうして高速道路を走らせてくれないのかはよく分からんが、鉄道好きのS弁護士としては有難い。

 青島駅に入場するにも厳重なチェックが必要。

 パスポートとチケットの確認をしてようやく駅構内に入れる。→空港のような荷物検査→チケット確認して改札を通してもらいやっとホームに入れる。

 しかも、乗車が遅れると、まだ乗客が並んでいても、おいて行かれるのだそうだ。

 さすがにおいて行かれたらお手上げだ。本当は整列乗車が好きなんだが、そんな贅沢言っていられない。郷にいれば郷に従う、これが旅行の鉄則だ。荷物を引き吊り、足を踏まれたりしながら、列も何もない感じで改札口突破を目指す。

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(我先に改札を突破しようとする人々)

 ホームに出ると一安心だと思ったが、発車時間までに乗らないと置いていかれるそうなので、指定車両に急ぐ。

 指定車両に乗り込むと、既に荷物棚は荷物で一杯。X教授やY弁護士のでかいスーツケースを乗せるため、スペースを空けてなんとか積み込む。

 車内では再度パスポートとチケットの確認、ふん!という感じで愛想はない。車内販売も黙って通り過ぎるときもあり、やる気のない感じ。

 X教授が水を一本、Gさんに買ってもらった。

 車両間のドアは常に開いている。どういう理由があるのか知らないが、日本では閉じているので違和感がある。速度表示があるが、200キロをどうしても超えない。Gさんからは、300キロくらい出る性能があると聞いていたが、何度見ても200キロまで届かない。197キロが最高だったように思う。おそらく線路の性能の問題なのだろう。

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(何故か車両間のドアを開けっ放しで走行する列車)

 車内はほぼ満席。電話でしゃべる奴、端末からイヤホンをはずして周りに聞こえる音を止めない奴などいるが、だーれも注意しない。
マナーが悪いのか、人の自由を尊重しているのか。よく分からない。

 ふと横を見ると、X教授とY弁護士が爆眠していた。

(続く)

日中韓FTAシンポジウムの旅日記~その2~

(続き)

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(上空より見る明石海峡大橋)

 ところが、離陸してしばらくして分かったのだが、この中国人の子供が難敵だった。

 子供のくせに肘掛けに両手を乗せて、両側の肘掛けを占領する、もたれ掛かってくる、靴を履いたまま横座りをして、靴底をこちらのズボンに押しつけてくる・・・など、かなり傍若無人。

 日本に旅行に来ている中国人なので、きっと富裕層なのだと思うけれど、マナー悪過ぎやろ。
 金はあるけど他はないよ、って感じと違うか。
 このままではろくな大人になれんぞ。日中友好にヒビが入るぞ!と心の中でぼやく。

 ゴン、と軽い頭突きを食らったほどに、余りに勢いをつけて、もたれ掛かられたので、さすがに、一度だけ肩をつついて日本語で注意したが、どこまでわかったものやら。母親も知らんぷりだ。途中で寝てくれたから良かったものの、そうでなければ、機内でかなりのストレスがかかったはずだ。

 昼食はえびとホタテのドリア、野菜、肉団子、小さなパンケーキとなぜかブルボンのあられの小袋。熱々のドリアが食べられるのも電子レンジのおかげだなぁ~と思いつつ、しっかり食べる。日本茶をもらい、うたた寝をしたりしていると、もうチンタオだ。

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(昼食のドリアなど)

 着陸態勢に入ると、山が見える。日本のように山全体が緑に覆われている感じではなく、岩肌が結構見えているところが面白い。概ね飛行時間は2時間50分くらいか。

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(関空から青島までの飛行ルート)

 時差はマイナス一時間。結構暑い。

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(青島付近の山の様子)

 入国手続きの書類を機内で書く際に、宿泊先については、まだGさんから聞いていないとX教授。「地球の歩き方の一番上に載っているシャングリラホテルでいいよ、それに入国目的は「観光」にチェックしておいた方が問題が生じないからいい」、と、経験から得た対処法を教えてくれる。

 何事にも先達あらまほしきものなれ。経験者の言うことの方が基本的には正しい。特に相手は中国。人民軍がいるところだ。用心するに越したことはない。X教授のお話を反対解釈すれば、観光以外の記載だといろいろ聞かれて面倒になるということだろう。問題が起きかねない道は避けるべきだ。結局X教授のご指導に従って、事実とは異なるが、目的:観光、青島での宿泊先:シャングリラホテル、と記入することにする。

 ホテルの漢字表記を記載するためにX教授から借りた地球の歩き方のコピーを参考に、シャングリラホテルと記入する。

 しかし、そのお借りしたコピーを機内に忘れてしまった。早速やらかしてしまった。平謝りのS弁護士だったが、X教授は笑って許してくれた。

 入国審査場では、なんだか人民軍の制服を着たような人が、無表情でパスポートの表紙を見て「そっちへ行け」とばかりに、指をさす。入国審査官も人民軍の制服のような服を着用している。どちらの人も、どこかで訓練してきたかのように、無表情だ。

 S弁護士はひげ面である。特に最近はおつむの毛が寂しくなってきたせいもあって、髭は大事にしている。しかし、ある学校で職業講話をしたときに、その髭のせいで教室に入った際に、「弁護士が来た~」ではなく、「タリバンが来た~」と中学生に騒がれた経験があることも事実である。しかも、今はイスラム国によるテロも多発している状況にある。

 「おい、おまえ、生意気にもヒゲ面しやがって、見るからに怪しいな。本当に、シャングリラホテルに泊まるのか?本当に観光なのか?」などと入国審査官から聞かれて、「すみません。嘘ついていました。本当は学会参加でホテルも未定なんです。」と本当のことを言ったら、やばいような気がする。そのときはX教授に強要されたと言えば助かるかもしれんが、自らの非を認めない奴として、逆に重く処罰されちゃうかも・・・と少し緊張したが、入国審査は審査官の無表情と無言のまま、特に問題なく通り抜けることができた。

 荷物はせっかく「壊れ物あり」にしたのに、3人の中では一番遅く出てきた。まあこういうときもあるさ。荷物を受け取ったあと、入国者出口から空港のロビーに出る。中国語や韓国語のプラカードを持っている人が何人かいたが、日本語のプラカードは、見あたらない。遠くにマクドナルドと味千ラーメンの看板が見える。

 しばらくしても迎えにきているはずのGさんが来ない。X教授がライン?のようなアプリを使って、連絡を取っているが、上手く連絡できない様子だ。10分ほどして、Gさんともう一人の方がやってきた。

 お話によれば、Gさんは、X教授の教え子で、山東政法学院で先生をしているとのこと。もう1人は、青島の有力弁護士野ところに勤務する、Kさんという弁護士になってすぐの人とのこと。お二人と挨拶した後、Kさんのボス弁の所有だというレンジローバーにのせてもらって、チンタオ駅方面に向かう。

途中、でかい橋を見る。なんでもアジアで一番大きな橋だそうだ。

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(Gさんの説明によるとアジアで一番長い橋)

 道路には、日本車、ドイツ車、韓国車、フランス車まで走っている。走っている車だけを見れば、ヨーロッパの道路と変わらない。その昔、NHK特集「シルクロード」で見た中国とは完全に違う。わずか数十年で、経済的に、ものすごい進歩を遂げているのだろう。

 高速は風がひどい。結構ほこりっぽい感じもする。

 しかし、暑いから窓を開けておく方が良い。額から頭頂部にかけて、かなり寂しくなってきたS弁護士の頭髪を、ほこりっぽい風になぶらせながら、車は青島市内へと向かう。

 列車の時間が15:19ということで、「3時間近くあるので食事にしますか」とGさんが提案する。遠慮した方が良いのか迷っていると、X教授が「機内で食事をしたばかりなので、お茶で良いよ」とさくっと指令を出す。

 おお、さすがにX先生、師匠って感じやな。。。。と、X教授を頼もしく思うS弁護士であった。

 青島市内はドイツの居留地でもあったこともあり、欧風の建物がたくさんある。中国語の看板さえ見なければどこかのヨーロッパの町並みと言っても通用しそうだ。

(続く)

日中韓FTAシンポジウムの旅日記~その1

ふとしたことから、X教授のお誘いで、Y弁護士と一緒に、2017年5月20日に中国山東省済南市で開催された、日中韓FTAシンポジウムに参加して来ました。

シンポジウムよりも中国旅行に焦点を当ててご報告したいと思います。

事実に基づいた、フィクションとしてお楽しみ下さい。

登場人物(紹介)

X教授:某大学法学部教授・弁護士

Y弁護士:弁護士(某大学法学部非常勤講師)

S弁護士:弁護士(某大学法学部・同大学院非常勤講師)

2017年5月19日

5時30分に起床。
朝食をとり、河原町今出川でタクシーを拾って、京都駅まで向かう。
時間の余裕を持ちすぎて、6:15くらいに京都駅についてしまった。かすかに期待していた、旅情と郷愁をかき立てる立ち食いそば屋も開いていない。

かつて高校時代、列車で通学していたS弁護士は学校からの帰り道、お小遣いに余裕があるときには、新宮駅で立ち食いそばを食べることもあった。立ち食いそばは、まだ未来が茫洋として何となく不安に駆られていた当時の自分を思い出させてくれる鍵でもあるのだ。

仕方なく待合いで時間をつぶし、関西空港行き「特急はるか」に乗車。乗客には外人が多い。途中からは結構乗ってきて、込んできた。昨晩、旅行の準備で寝不足だったので寝る。
8:18に関空着。

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(発車前の特急はるか)

待ち合わせ場所に指定された4階出発ロビー、ANAカウンター前に向かう。
誰も見つからない。少しうろうろしているとX教授を発見。

すでにチェックインして、荷物を預けたとのこと。集合場所と時間は決まっていたが、荷物を預けてから集合とは聞いていなかった。あわてて手荷物を預ける。今までの経験上、預ける荷物について、壊れ物ありにしておいた方が、到着地で早めに出てくる傾向があったことと、手荷物に実際デジタルメモを入れていたことから,壊れ物ありにしてもらう。

S弁護士が荷物を預け終えた頃、Y弁護士登場。かなりでかいスーツケースを引っ張っていて驚く。
Y弁護士も荷物を預けて早速、手荷物検査場へ。

X教授は落ち着いているが、初の中国となる他の二人は落ち着かない。

Y弁護士は、目的地を北京と言い間違えたりする。

荷物検査を終えて、出国手続きをすることになるが、X教授は、指紋認証を登録しているということでさっさと終える。
X教授、Y弁護士が買い物をするということで、S弁護士は先にラウンジに行っておく。

途中で人民元に両替。

1万円あまりで600元。結構レートは良くない。最初1万円を両替するよう依頼したところ587元くらいだったようで、「これでも両替できますが、日本円を少し足せば600元ちょうどになります」との説明。日本円を少し足したところ100元札が六枚来た。100元札一枚分は、もうすこし小額の紙幣に換えて欲しいとお願いすると、100元単位の両替だからできないなどという。

おいおい、ついさっき、1万円を端数のある人民元に両替できると言ったところじゃないか。それなら1万円きっかりを人民元に変えて欲しいという希望に添った両替をこの店はやらないってことなのか?そんな注意書きどこにも出てないぞ。100元単位でしか両替できないなんて、そんな馬鹿なことはないだろう。筋の通らないことを言う担当者だ。本当は面倒くさいだけなんだろう!と、S弁護士は一瞬で担当者の、余分な仕事はしたくない、という思惑を察知したが、ここで喧嘩しても意味がない。

ふっ、本来であれば切って捨てるところだが、まあ今日のところは捨て置いてやる。運が良かったな、両替屋の兄ちゃん・・・と心の中で呟きながら、S弁護士は両替商の窓口を去る。

しかし、よくよく考えると、両替手数料もしっかり取る上に、レートも売り・買いでいじるなんて、実際ぼったくり以外なにものでもないように思える。その上、顧客の要望にも応じないとは、サービス業としてどうなんだ、とも思うS弁護士だった。

クレジットカードで入れるラウンジは、結構しょぼかった。オレンジジュースを飲もうとしたが、売り切れで、仕方なく、野菜ジュースを3杯ほど飲んでしまう。海外旅行出発で盛り上がっている団体がいてうるさい。

途中からラウンジにX教授もやってきて、ゼミで教えているという法実証主義や功利主義等について、少し話す。
Y弁護士が心配だというX教授のお話で、少し早いがゲートまで。

そこでY弁護士と落ち合って、搭乗を待つ。
ゲートに止まっているのはボーイング737-700、大体120席くらいのかなり小さな機体だ。

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(青島行き ANA NH977便)

中国では水道水が飲めないと聞いていたので、念のため水を一本買っておく。
S弁護士は窓から見る外の景色を楽しみにもしているので、飛行機は、取れる限り窓側の席を取る。今回も前日のオンラインチェックインを使って窓側を押さえておいた。

搭乗すると、横が中国人の子供、通路側がそのお母さんと思われる女性だった。

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(搭乗中のX教授とY弁護士)

(続く)

初めての遠近両用眼鏡~その3

 量販店では、たくさんのフレームが並んでいる。

 正直言ってどれが似合うかさっぱり分からない。一応、試着はできる。
 しかし、当たり前だが、そのためには今かけている眼鏡を外さないとできない。そうなるとド近眼のS弁護士には、鏡に映った自分の姿もボケボケで、どれだけ似合っているのか分からないのだ。

 思えば高校の身体測定のときに、視力検査で、視力検査表の一番上の文字を読むように言われた高校生Sは、必死に眼を細めて読もうとしても、どうしても解読できず、「わかりません・・・」と返答した際に、同級生から「え~、あんなに、でかい文字も見えへんのか!」というどよめきが起きたこともそういえばあった。
 そこから、検査表の文字が読めるまで視力検査表に近づくよう指示されるのだが、かなり近づいてもまだ「わかりません・・」という高校生Sの返答に、さらに大きな周囲のどよめきが起きたことは言うまでもない。別に屈辱を感じる必要はないのだが、高校生というのは結構残酷なもので「見えね~んだってよ。」と笑い出す同級生もいて、何故だかかなりの屈辱感を感じたようにも記憶している。
 ちきしょう、俺だって好きで「見えない」って言ってんじゃねーんだよ。と思ったものだが、根性出したところで検査表の文字が読めるようになるわけでもない。そういうわけで視力検査は結構ストレスではあった。

 さて、話を戻すと、フレームの選択である。
 前述の通りド近眼のS弁護士には鏡に映る自分の姿もかなりのピンぼけでしか、わからない。

「う~ん、似合ってますかね~」
「もちろん良くお似合いですよ~」

という、量販店のおじさんの営業トークに抗う術はもはやS弁護士には残されていない。
 こうなれば、売れ残りを売りつけられようが、どうなろうがわかりゃしないが、ここは大阪、古来より商人の街。売り手良し、買い手良し、世間良し、の三方良しは近江商人の心意気だったと思うが、商人であるならそのくらいの心意気は、あるだろう。それに、この量販店は、安心価格・懇切丁寧も標語に上げているようだから、信じてみてもええんやないか・・・。心の中で迷いはあったものの、結局選択肢はあまり残されていない。

勧められるままに、「じゃあ、これで良いです」と、フレームを選び、レンズはできるだけ薄いタイプを選んで、さあ注文だ。
出来上がりは一週間後。

一週間経って、少しドキドキしながら量販店に向かう。
早速始めての遠近両用眼鏡を装着してもらう。

??

なんだか、眼鏡の左右の周縁付近が歪んで見えるな。
足下がなんだか普段より遠く見える気がするぞ。
これは確かに、階段とか危ないかもしれないな。
このように、違和感は結構あった。

しかし、眼鏡レンズの中心部分においては、そんなに歪んではいない。眼鏡上部で遠いところを見つめると今までよりはっきり見える。一方、視線をだんだんと下げていき眼鏡の下部で近いところを見ても、そんなにきつくはない。

つまり、遠いところも、近いところもシームレス(つなぎ目なし)で緩やかに、無段階に見える仕掛けになっているのだ。昔の古本屋の親父のように、眼鏡の下半分に老眼用レンズがついていて、明確に遠用部分、近用部分と分かれているわけではない。無段階に変化するということは、距離に応じた最適なレンズ屈折部分が視線のどこかに存在するということとほぼ同義だ。これは単焦点眼鏡にはない利点だろう。恐るべし現代の遠近両用レンズ。
ある意味感動だ。

 このように、昔の遠近両用レンズを想像していたS弁護士は、技術の進歩に驚かされることになったのだった。

 しかし、未だに読書や裁判用書面の起案の際には、以前からの単焦点眼鏡の方が使いやすい気がして、S弁護士はそれを用いている。
せっかく便利な遠近両用眼鏡を入手した物の、S弁護士が慣れるには、もう少し時間が必要のようである。

初めての遠近両用眼鏡~その2

眼鏡の購入といえば、昔は●●時計店という時計や宝石を売っているお店の眼鏡部で、一本3万円以上もする眼鏡を買うのが普通だったように記憶している。よくよく考えてみると、時計店で宝石や眼鏡を扱うという形態が世界的には珍しいようにも思うが、昔はそれが当たり前だった。そこでは、フレームを選んだ後、視力を計り、レンズを選択して作成してもらうものだった。注文してから数時間かかることもあったように記憶している。

そもそも、S弁護士の眼鏡歴は長い。小学1年生当時の視力は2.0だったのに、何故か急に悪くなって小学5年生頃にはもう近視用の眼鏡をかけていた。

父親にも、母親にも近視の傾向はなく、遺伝ではないと信じ切っていた両親からは、テレビの見過ぎではないかとあらぬ疑いをかけられたりもしたものだ。

確かにテレビにリモコンがない時代に、親がやってくるとすぐにスイッチを切って勉強しているふりをする必要があったため、かなり画面の近くでテレビを見ざるを得なかったという、今どきの子供には理解しがたい理由もあるにはあった。

しかしその後、弟や妹も近視傾向があることが分かり、S弁護士だけがテレビを見過ぎているという疑いはそのうち薄れていった。

それはさておき、眼鏡や自動車のタイヤのように滅多に買い換えないものは、えてして価格が高くなるものだ。買い換え需要がそんなにない以上、限られた需要で経営を賄わざるを得ないから、必然的に1個あたりの利益を上げざるを得ない。

S弁護士が弁護士に成り立ての際に、ボスの受任した大きな眼鏡屋問屋さんの破産管財業務を手伝わされたが、眼鏡小売店の店長達はこぞって、アフターサービスや問屋さんの問題を非難して、なかなか売掛金を支払ってくれなかった。また、時間のある(悪い言い方をすれば暇な)店主が多いらしく、担当者のS弁護士に電話をかけてきて散々問屋さんの問題に関する非難と、売掛金を請求される理不尽さを訴える人もかなり多くいたものである。そんなことに時間を割いていても眼鏡店の経営が成り立っていたのだから、牧歌的な時代だったのかもしれない。

最終的には、合計120件以上の売掛先に訴訟を提起し、10件以上の売掛先に差押をかけ、かなりの部分を回収したのだが、眼鏡屋さんの店主との攻防は本当に時間を割かれるものだった。

ところが、いまは眼鏡も量販店の時代で、フレームとレンズがセットで幾らという販売形態の方が多いようなのだ。まあ、その方がお値段も明快だし、買いやすい。量販店だから品質が悪いという噂もない。

それなら、量販店でも問題はあるまい。

処方箋を持って、S弁護士は、勤務先近くの眼鏡量販店の一つに向かったのだった。

今からでも間に合う(かもしれない)司法試験サプリ(6)~司法試験で問われているもの2の4

※法的三段論法を踏まえる

 よく法的三段論法といわれるが、論者によって多少のニュアンスの違いはあるように見える。
 しかし、大枠は変わらないと思う。
 大前提・・・・法律の解釈
 小前提・・・・事実認定
 結論
 という、判決でよくみられる理屈の形である。

 ここで大事なことは、大前提と小前提、小前提と結論を混在させないことである。

 法解釈の場面では、法解釈に徹し、問題に記載された事情を混入させないように気を配る。

 小前提段階では、事実を評価して認定し、大前提として解釈した内容に当てはまるのかそうでないのかを判断する場面であることをしっかりと自覚し、ここで再度の法解釈など行わないように気を付ける。

 結論は、きちんと問いに答える形で終われているのかについて確認しながら記載することが必要だ。

 おそらく、法科大学院で判例を習った際に、法的三段論法についてきちんと踏まえている裁判例を教えてもらっているだろうから、その復習をしてみるのも効果的だろう。
 「事実は評価して使え」のところでも述べたが、昨今、採点実感で、問題文の事実だけを抜き書きして、その事実からいきなり結論を主張する答案例が少なからず見られると指摘されている。そのような答案は、法律の解釈も事実の認定もなされておらず、法的三段論法を全く踏まえていない答案であるというほかはないだろう。「少なからず」とは多いという意味だから、上記の点だけでもきちんとできれば、これも群を抜くための武器になりうる。

※法解釈は立法論ではない

 司法試験では、全く勉強していない条文を解釈しなければならない場合もある。その場合は、なるべく文言に沿った文理解釈を中心に据えて、大怪我をしないように注意しながら慎重に解釈すべきである。
 慎重に解釈した結果、不都合が出るのであれば、何らかの形での対応が可能であることを指摘するなどして、自分は結果の不都合に配慮しているということを、少なくともアピールしておくべきである。

 ある程度思い切った解釈がどうしても必要となった場合でも、法解釈は立法論とは異なることに注意すべきである。
 どれだけ必要性があっても、条文の文言上、解釈上、射程距離が及ばないのであれば、その条文を適用することは困難となる。
 解釈の必要性はわかりやすいため、つい踏み込みすぎてしまいがちだが、そこまでの解釈を条文が許容しているのかという点にも十分配慮する必要があることは忘れてはならない。

※条文の引用は慎重に・答案の文字は丁寧に

 このように重要な条文である以上、引用の際に条文番号や文言の引用ミスは許されない(れっきとした減点対象)と考えたほうがいい。せっかく司法試験六法が配布されているのだから、焦らず正確に記載すべきである。

 基本的な条文であればあるだけ、きちんと引用しなければならない。基本的な条文の引用を誤ると、試験委員のご機嫌を大きく損ねる結果になることは覚悟したほうが良い。
 もちろん準用条文を勝手に省略するなどもってのほかである(試験委員が何度も指摘している)。面倒でも準用条文を省略することなくしっかり記載すること。

 答案の文字を丁寧に書くことも大事だ。大量の答案を集中して読み込まなければならない採点委員(しかも老眼が入っている委員も多いだろう)のことを考えるなら、読みやすい文字の与える印象は大きい。下手でもいい。やや大きめで読みやすい文字で書くことだ。急いで乱雑に書いても、丁寧に書いてもそんなに時間は変わらない。

 なお、基本的な用語について漢字を誤ったり、基本的用語をひらがなで書くことも、良い印象を与えることはないので十分気を付けることだ。
 そこでの、ほんの少しの違いが、答案全てで積もれば、最後には大きな差となって跳ね返ってくることになる。

 以前のブログに書いたことがあるが、私は、0.03点差で論文試験を落とされたことがある(成績開示をしたので間違いない)。
 しかも当時は悪名高い丙案(若手受験者優遇制度)があったため、同じ年の受験でありながら、私よりも成績の悪かった受験生が200人以上も合格したのである。

 仮に私が、その年に、きちんと条文の記載を再確認して条文引用の記載の誤りなどを訂正していたとすれば、また、文字を読みやすくし誤字などを訂正していれば、私はその年に合格し、その後さらに2回の司法試験を受けずに済んだかもしれないのだ。
 幸い私は、その翌々年に合格できたからまだよかったが、経済的な問題から受験ができなくなっていたら、私の人生は大きく変わっていたはずだ。

 そのようなことがあなたの身にも起きるかもしれないのだ。

 そう考えれば、ちょっとした条文確認の手間、答案を読みやすい文字で丁寧に書くことなど、注意しないほうがおかしいだろう。

(続く)

ゴルフの1人予約における、一人目女性無料制度

 ゴルフは通常、3~4人が、一緒にプレーすることが多い。

 ところがゴルフをしたくても仲間や友人が3人集まらないこともある。そのような場合であっても、ゴルフをしたい人のために、一人でもゴルフをしたい人をネットで集めてゴルフをさせるよう取りはからっているのが、一人予約制度である。

 実際にS弁護士が利用してみると、なかなか良い制度であって、最初の恥ずかしさを乗り越えれば、初心者だってなんとかやっていける。みんなゴルフ好きなので話題にも事欠かないし、ゴルフを楽しみに来ている人ばかりということもあり、身勝手な方には、ほとんど会ったことがない。

 ゴルフ場にとっても、ゴルファーにとっても、メリットのある制度であって、考えたやつはえらいなぁと思う。

 現在では、バリューゴルフ・楽天・GDOなど、いくつかのサイトが一人予約制度を取り入れている。大体予約方法は似たようなかんじで、ゴルフをしたい日時とゴルフ場の地域を選択して検索すれば、一人予約を提供しているゴルフ場が表示され、その中から選択して申し込むという方式である。

 ところが、一つ気にくわないことがある。

 ゴルフ場によっては、一人目の予約者が女性である場合は、その女性のプレー料金を無料に設定しているところがあるのだ。

 そのようなゴルフ場の受付欄には、一人目のところには女性がダーッと予約を既に入れており、後に続く男性参加者を待ち受けている状況になっていることが殆どだ。

 重ねていうが、これが、S弁護士には気にくわない。

①まず、予約者を集めたいのなら男女問わず一人目を半額にする、プレー料金を下げる等の方法もあるはずで、特に一人目女性のプレー料金を無料にする理由はないように思われる。仮に一般的傾向として女性の収入が少ない場合が多いから、それに対する配慮だというのであれば、収入が少ない男性にだって割引すべきだから筋が通らない。そんなこんなで、差別的取扱に感じられて理不尽だとS弁護士は思っている。ついでにいうなら、男女差別撤廃を叫ぶのなら、女性が不当に有利に扱われている場合も、その有利な扱いを撤廃すべきと主張するのが筋だと思うが、そのような主張はあまり男女差別撤廃論者から聞いた記憶がないような気がする。仮に、有利なところは黙ったままで、不利なところだけを是正しろというのであるなら、ちょっと狡いのではないかと思ったりもする。

②そして、女性のプレー料金を無料にしたところで女性にゴルフ場を利用させてプレーさせるわけでから、施設の利用に関する負担が当然生じるわけで、それをゴルフ場が全て負担するとは思えないから、おそらく当該女性分の負担は、一緒にプレーする男性に負担させられるような仕組みになっている気がする。仮にそうだとすれば、なんで他人の楽しみの対価を自分が負担しなきゃならんのかが理解できない。

③なにより、「女性が入っているから男性も釣られて予約するだろう、どうせあなたは女性とゴルフしたいんでしょ?」というゴルフ場側の策略にみすみす引っかかったようで嫌だし、他人からスケベ心混じりでゴルフに来たと見られるようならば、心外だ。

④これは勝手な思い込みであまりいいたくないのだが、やはりスポーツにおいては、女性に負けたら恥ずかしいものだ、という変な思い込みが、S弁護士の心の中のどこかにあるようなのだ。もちろん、ゴルフは体力だけの勝負ではなくハンディやレディースティなど女性が男性と対等に戦える配慮もなされているし、始めてまだ2年のヒヨコが何をほざいているんだという面もあるのだが、それであっても女性に負かされると何故だか悔しい。

 このような理由、特に③、(少しは④?)の理由から、S弁護士は一人目女性無料のゴルフ場での一人予約は可能な限り避けるようにしている。

 しかし、一人予約の方とのラウンド中の昼食休憩時に、時折このような話題になるのであるが、中には、一人目予約の女性が20歳台、30歳代なら許せる、と仰る御仁もおられたりする。

 だとすれば、ゴルフ場の策略としては一人目女性無料の制度は、あながち間違っていないのかもしれず、S弁護士としては、女性とのことになると男性はやっぱり馬鹿なところがあったりするんだなぁということを再認識しつつ、そこが残念でもあり、またおかしかったり

安易な相続放棄は・・・危険かも?

弁護士をしていると、もちろん相続放棄の相談もある。

 マイナスの財産しかない被相続人が亡くなったので、相続放棄をして欲しいと相続人から頼まれることも多いが、実は、「相続放棄した方が良いと他の相続人から言われているのでそうしたい」、という相談もときどきある。

 よくよく確認してみると、相続財産の全体は教えてもらっていないのだが、先代の不動産の登記名義がまだ変更されていないから面倒だとか、相続するなら葬儀費用を負担しろと言われるなど、面倒なことに巻き込まれるかもしれないことばかりが、頭に浮かび、もういいや、となっている場合もある。

 そんなときに、相続人全員が放棄するのかと聞いてみると、実はそうではなく、誰か1人が相続することになっている場合だったこともある。

 冷静に考えれば、誰か1人が相続したいという以上、何らかのメリットが相続にあるとしか考えられない。

 そこで、きちんと相続財産を確認してから、決断した方が良いですよとアドバイスするのだが、なかなか正しく理解して頂ける人が多くはないのである。

 以前、相続人のうち1人が「俺が相続して面倒なことは全てやってやる」と言っているので、放棄したいと相談に来られた方がいたが、よくよく調べてみると、多少不動産が売りにくいものの、相続すれば600万円ほどの遺産が手に入る案件だった。

 あのまま放棄していれば、この相談者は600万円をもらい損ねることになったはずだ。

 安易に相続をすれば、借金を負わされる可能性があるという危険があるが、その反面、安易に相続放棄をすれば、本来もらえるべき遺産をもらえなくなる危険もあるのだ。

 特に誰か1人が面倒なことは全てやってやるから他の相続人は放棄しろという場合は注意が必要だ。

 後になって、悔いを残さないようにきちんと弁護士に入ってもらって、調査し、納得したうえで、放棄すべきなのだ。

 兄弟の言うことを安易に信じて放棄してしまい、後悔している相談者の方は何人も見てきた。相続放棄の申述は詐欺・強迫・錯誤等があれば争えるには争えるが、立証の問題もあって、通常、ひっくり返すことは極めて難しい。

 安易に相続放棄する危険についても、相続人はよく知っておくべきだと思うのだ。

日なたの匂い

最近あまり聞かれなくなってきたように思うが、日なたの匂いという言葉がある。

実際にどんな匂いかと問われると困るのだが、例えば、お日様に良く干した洗濯物、良く干した布団などから感じる匂いである。

秋の夕方近く、少し空気が冷たくなってきた頃、一日中干していた布団を取り入れ、ふかふかになった布団に顔を埋めると、じんわりとした暖かさと、日なたの匂いがして、安心するような気持ちになったものだ。

 実は、良く干した布団・洗濯物以外にも、日なたの匂いがするところに、私は小学生の頃に気付いたことがある。

 ところで当時、家で飼われていた紀州犬は、父親の一言で名前が「シロ」とされたメスだった。日本犬らしく忠実で、何故か散歩はたいてい私の仕事にされた。

 私は、あまり熱心に散歩をするたちではなかったが、ときには遠くまで一緒に歩いて出かけたものだ。うちの裏には、田畑があって、そのあぜ道を歩いたり、冬の田んぼでリードを外して遊んだりしたものだ。

 リードが外されて自由になると、シロは私の周りを全力で左右に走って私に飛びかかり、それを私が躱したり、身体ごと受け止めて投げ飛ばす、そんな遊びになるときもあった。もともと紀州犬は猟犬であり、その血が騒ぐのか、とても楽しそうに見えた。

 遊び疲れてあぜ道で座り込むと、シロも横に来て、お座りの姿勢をとった。

 季節は冬で、だんだん寒くなってくると、私はシロを、後ろから抱きかかえて暖をとることもした。シロはおとなしく、私に抱かれていた。

 そのとき、何気なくシロの頭の毛の中に顔を埋めてみると、日なたの匂いがした。

 じんわり暖かなシロの体温と、日なたの匂いを感じながら、何故か私は、少しばかり幸福感を味わっていたように思う。

 ときおり日なたの匂いをかぐと、シロの暖かさを想いだし、何故だか切なくなるときが、未だにある。