企業における弁護士ニーズ~

 大阪大学の「法曹の新しい職域」研究会から、アンケートの依頼があり、その中に、参考資料として、「企業における弁護士ニーズに関する調査中間報告書」が同封されていました。

 上記研究会は、企業の弁護士ニーズを探るために、アンケートを実施しその内容を分析しています。

 「企業における潜在的ニーズはかなり広範囲に広がっているはずであり、企業がそのような潜在的ニーズに気付いていけば、今後、企業で弁護士活用が拡大することはかなり期待できます。」と、福井准教授はアンケート結果を分析しておられます。

 しかし、企業の潜在的ニーズは、かなり前から言われ続けていますが、一向に開拓される気配がありません。

 また、企業が、弁護士と顧問契約をしない理由は、圧倒的な第1位が「弁護士を必要とする仕事がない」という理由です(46.2%)。福井准教授は、「昨今の状況に鑑みれば、字義通りに『弁護士を必要とする仕事がない』と解することはできず、むしろ企業が『弁護士を利用するニーズはあるがこれに気付いていない』、もしくは『弁護士を利用するニーズはあるがそのメリットに気付いていない』と解釈すべきでしょう。」と解されます。

 しかし、福井准教授の解釈は、あくまで企業が弁護士の有用性についてなんら気付いていないという結論ですから、弁護士の有用性を企業が知らない状況下においてのみ正しいと考えられます。つまり、弁護士の有用性を企業に対して誰も説明してくれない状況が、福井准教授の念頭にあると思われます。

 ところが、日弁連も相当前から、企業に対して、弁護士の有用性を知らしめ、ニーズを拡大しようと活動しているやに聞いておりますが、企業の方々が続々と弁護士ニーズに気付き大量に弁護士の採用を開始したという話は聞いたことがありません。更にいえば、企業のトップの方々が弁護士ニーズがあるのに、そのニーズに気づけないほど洞察力がないとも思われません。

 そうだとすれば、企業における弁護士のニーズを「潜在的にはあるはずだ」という、福井准教授のご主張の根拠は薄弱というしかないと思われます。

 この中間報告書の更に面白い部分が、アンケートの自由記載欄をピックアップした中にあったのですが、それはまた、日を改めて書きたいと思います。

エゾナキウサギ~

 私がまだ、若かった頃、何度か北海道にバイクツーリングに出かけたことがあります。

 そのときに、然別湖に立ち寄った際、珍しいナキウサギがいるということで、遊覧船で対岸にわたり、2時間ほどナキウサギを観察したことがあります。なんでも、ナキウサギは氷河時代からの生き残りといわれており、貴重な生き物だということでした。

 ナキウサギは、ウサギという名前が付いてはいるものの、実際には耳は大きいわけではなく、ネズミのような感じの動物です。キチ・キチという感じの鳴き声を出します。非常に警戒心が強いということもあり、人間が歩き回っていると出てきません。息を潜めてじっとしていると、ガレ場から出てくることがあります。大抵こちらが予期しない場所に出るようで、数人で観察していたのですが、何度か姿を現した中で、私は、3回ほどちらっと見ることができただけでした。しかし、思いがけず私のすぐ近くに出てきたこともあって、その可愛らしい姿は、しっかり見ることができました。

 ナキウサギは学術的にも貴重な生き物だということですが、例に漏れず人間による環境破壊により絶滅のおそれもあるようです。天然記念物に指定するよう求める運動もなされているようです。

 可愛らしい動物なので、テレビなどの特集があれば、一度ご覧になってみて下さい。

司法特別演習B~

 関西学院大学法学部での春学期の講義、司法特別演習Aでは、私と当事務所の加藤・吉村・久保弁護士で会社の基本構造やM&Aなどに関して、講義を行いました。

 秋学期は 、昨年と同様、私が一人で司法特別演習Bを担当します(隔週月曜3・4限)。加藤・吉村・久保弁護士は共同でビジネス法務特別演習A(毎週木曜2限)、冨宅弁護士が知財法講義(毎週火曜2限)を担当する予定です。

 私の演習は、隔週月曜日の3・4限連続という、変則的なもので取りにくいものではありますが、ペットに関係する法律問題について、昨年同様、事前に問題を出して回答してもらう形式で行いたいと思っています。ペットに関する法律に興味のある方の参加がたくさんあればと期待しています。その反面、演習という性格上、あまり多すぎる参加者でもちと困るかなと、要らぬ心配もしてしまいます。

 学生の皆さんに教えることは、私達にとっても良い勉強になります。思っても見ない質問とか、法律家が見落としがちな素朴な疑問がでると、こちらが、なるほどと頷かされる場合もあったりします。

 私達は法律実務家ですから、学者の先生方の視点とは少し違う問題の切り口をする場合もあり、同じ科目でも別の面白さが見つかる可能性もあります。余談で、実務上の面白い体験談など聞けるかもしれませんので、(関学の学生さん以外には関係ないのですが)ご期待下さいね。

ヒグラシの鳴き声~

 先日、ヒグラシの鳴き声を聞きました。

 皆さん、ご存じの通り、ヒグラシは別名カナカナ蝉とも言われ、涼し気な中にも何となく寂しそうな感じを含んだ鳴き声で鳴きます。

 この鳴き声について、カナカナと表現されることが多いようです。しかし、実際聞いてみると、確かに鳴き声の感じは「カナカナ」という言葉の語感に似てはいますが、決して「カナカナ」という語、そのものの音ではありません。もう少し金属的な音がするように思います。

 かといって、ではどう表現するのかと問われると困るのですが、近くで聞くと「キ・キ・キ・・・・・」と聞こえるように思います。少し離れると、(「カナカナ・・・・」+「サリサリ・・・・」÷2)のように聞こえる気がします。

 私は、ヒグラシの鳴き声が大好きなので、ヒグラシの鳴き声を聞くと、なんとかぴったりした鳴き声の表現ができないかと考えるのですが、どうもまだ見つけることができないようです。誰か見つけたら教えて下さい。

心の琴線~

 ひどく感動する音楽を初めて聴いたとき、素直に、いい曲だったな、感動したな、という想いが湧いてくる直前の段階で、どこかで一度聞いたような気がすることはありませんか?

 大抵は、いい曲だったな、感動したな、という気持ちに呑み込まれてしまい、どこかで一度聞いたような気がすることを忘れてしまうのですが、少なくとも私は、初めて聴いた曲であっても、そのような気がすることが多いようなのです。

 何故そのような気がするのか、私にも説明が難しく不思議なところですが、もしこの感覚が私だけのものでないとして、敢えて仮説を立てるのであれば、次のように考えることもできるかもしれません。

 人は誰しも、感動の根幹となるものを持って生まれてくるのであって、その感動の根幹を揺り動かすことができる曲が、その人にとって感動に値する音楽なのかもしれません。作曲という作業は、その感動の根幹(感動を生み出す部分)に触れる音・フレーズを探り当てて、その音を紡いで曲にする作業にように思えます。

 もともと、生まれながらに持っている部分に触れられるので、どこかで(あるいは生まれる前に?)聞いたことがあるような気がする感覚が、一瞬ですが感じられるのではないでしょうか。
 

もちろん、個々の人が持って生まれてくる感動の根幹はそれぞれ違うものであって、ある人には感動的な曲でも、別の人にとっては騒音に近い場合もあるかもしれません。しかし、多くの人を感動させる曲は、より多くの人の感動の根幹に作用する部分を探り当てた曲だったということになるように思えます。

 そう考えてみると、誰が言いだしたのか知りませんが、「心の琴線に触れる」という言葉は、すごい言葉だと思います。誰もが、自分の心に響いたときにだけ、良い音色を奏でる琴を心に持っていて、感動とはその見えない琴の弦をふるわせ、その人だけに分かる美しい音色が心の中に鳴り響いている状態であることを示しているように思うからです。

 出来る限り、精神的にも、身体的にも、心の琴線によって美しい音色が鳴らせる状態でいたいものですね。

弁護士のニーズ~

 弁護士増員を目指す方々が、良く仰るのは、弁護士の数は国民のニーズを満たしていない(だから不足だ)ということです。その主張をされる方が、果たして、国民のニーズをどうやって把握されたのか根拠を示して下さることはまずなく、多分そんな気がするという程度の発言なのでしょうが、この発言は弁護士のニーズに関して非常にミスリーディングな話なので、少し説明したいと思います。

 弁護士も職業であることは、どなたも否定されないと思います。ですから、弁護士はこの仕事を通じて生活費を稼ぐ必要がありますし、生活費を稼いでも文句を言われる筋合いがないことも当然です。ですから、弁護士費用をかけてでも解決したいと依頼者が考えておられる事件が、弁護士のニーズなのです。弁護士に無料で相談したいと考えている方は、弁護士にとって見ればニーズではないのです。

 そんなの弁護士の身勝手だ、といわれるかもしれませんので、少し説明してみます。

 暑い夏ですから、バス停でバスを待つ人は一刻も早く目的地に着きたいと考えているでしょう。私にも経験がありますが、バスがなかなか来ないときはなおさらですね。
 確かに、タクシーを使えばすぐに冷房の効いた自動車に乗れますし、バス停ごとに停車することもないので早いし、自宅のすぐ前まで送ってもらえて便利です。しかし、バス停でバスを待つ人は全てタクシーに乗るでしょうか。タクシーの料金は、バス料金より高いので乗らない人の方が多いでしょう。より高度なサービスを受けようとすれば当然サービスに見合った費用がかかるのは当たり前ですし、タクシーも仕事ですから、最低でも生活を維持できる料金を設定しているはずです。

 このことは全然おかしくありませんね。

 逆に言えば、タクシーにとって、ニーズがあるかどうかは、バスより高いタクシー料金を出してでもタクシーを利用しようとする人が、どれだけいるかということになります。そのような人が多ければタクシーのニーズがあることになるし、そのような人がわずかであれば、タクシーのニーズは社会的にはほとんどないことになります。
 この事実を指摘することを、タクシーの身勝手と言うべきでしょうか?

 みんなが早く目的地に行きたいと考えているのだから、バス停で待っている人みんなをバスと同じ料金でタクシーに乗せてやれと、言うべきでしょうか?

 さらに、無料でタクシーに乗りたいと思う人は物凄く多くいると思いますが、自分の生活を無視して、その人達を乗せてあげる義務がタクシーにあるでしょうか?

 タクシー運転手の生活を国家が保証して、そのような仕事をさせているのであればともかく、タクシードライバーも生活費を稼ぐ手段の一つである職業なのですから、そんな馬鹿な話はないでしょう。

 ここで話を弁護士のニーズに戻します。

 弁護士も仕事です。一生懸命身につけた知識や経験を使って生計を立てる必要があります。確かに弁護士に無料・若しくは極めて安い値段で相談したいと思っている人は、多くいるかもしれません。しかしその方達は、先ほどの例で言うと、無料でタクシーに乗りたいという人、バス料金でタクシーに乗りたいという人が沢山いる状態と同じなのです。

 ですから、無料であれば、極めて安い値段であれば、弁護士に相談したいという人が多くいてもそれは、弁護士のニーズが社会的にあるというわけではありません。

 法科大学院を擁護する人たち、弁護士人口を増加させようとする人たちは、弁護士に相談したくてもできない人がいるはずだと主張して、弁護士のニーズがあるといっていますが、それは、タクシーにただで乗りたい(バス料金と同じ値段で乗りたい)という人がいるはずだ、ということの指摘に過ぎず、弁護士のニーズがあるということではないのです。

 冷静に考えれば、弁護士のニーズは大してあるものではないし、だから新人弁護士の就職難が深刻なのだと思いますが・・・・。

付記(8月14日)

 誤解なきよう付記しておきますが、私は弁護士のニーズの話を記載しただけであり、弁護士に相談したい人を放置せよ、切り捨てて良い、と言っているわけではありません。

 そのような方も、弁護士に相談できるようにすべきというのであれば、国が納税者の方を説得し、予算をつけて援助すべきなのです。

 先ほどのタクシーの例で考えれば、すぐに分かりますが、タクシーに無料(又はバス料金と同じ)で乗せてやれというだけでは、タクシードライバーは生活できません。ただ、国が、国民の利益のために、タクシー無料化(又はバス料金化)考えるのであれば、納税者を説得し、(国民のお金で)タクシードライバーが生活できるだけの保証をした上で、行うべきということなのです。

 ちなみに、民事法律扶助予算について、国民一人あたりの支出額は、イギリス3257円、ドイツ746円、フランス516円、アメリカ309円と比較して、日本はわずか40円です(日弁連新聞による)。

 弁護士人口増加を目指す人達やマスコミが、弁護士のニーズを語る際に、いつも、何故か上記の視点が欠落したまま語られているように思えてなりません。

週末の帰省~

 お盆も事務所を開ける予定であるため、週末だけの短期間帰省をしてきました(私はお盆の後に少しお休みを頂く予定にしています)。

 金曜日の夜に出発して、土曜日の未明に実家に到着。自動車の運転で疲れていたので、すぐに2階の座敷に用意してもらっていた布団に入りました。

 私の田舎は海に近いせいか、京都・大阪に比べて気温が幾分低めであり、風さえあれば窓を開けてクーラーの世話にならずに眠ることも可能です。
 できればクーラーを使いたくなかったので、窓を開けて網戸にし、眠ろうと努めました。しかし夜のドライブは神経を高ぶらせてしまうためか、すぐには寝付けません。
 しばらく、月明かりにうかぶ窓の外をぼんやりと眺めることになりました。

 私の実家は、小さな川の側にありますので、水の流れる音が聞こえてきます。向こうの畑から地虫や少し気の早いコオロギの鳴き声も聞こえるようです。国道も近くにありますが、夜中は殆ど自動車は通りませんので、都会のように夜でもゴォーっと、どこか遠くから響いてくる自動車の騒音は全くありません。ただ、時々、はるか上空を、通過していく夜間飛行のジェット機の音が、風にくるまれて届けられたかのように、いかにも遠くから、何故か強弱をつけて、響いてくるのが分かるくらいです。

 いつも京都で見かけるジェット機は、上空を音もなく飛行機雲を曳いて飛んでいるように思え、それが当たり前に思うようになっていました。今回の帰省では、「静かであれば、夜間飛行の音も聞こえる」ということを忘れてしまっていた自分に、気づくことができました。

大阪弁護士会臨時総会の感想~

 先だって行われた、8月6日の大阪弁護士会臨時総会では、執行部議案が採択されました。

 つまり、提案者である私達の負けということになったのですが、敗因は、ざっと思いつくだけでもいろいろ考えられます。

 ① 執行部には組織があり、会派の力を用いた強力な票の動員が行われたこと、~弁護士奥村徹先生のブログには、会長選挙よりも力の入った電話でのお願いが会派からなされていたことが記載されています。また、臨時総会前に宮崎日弁連会長が大阪に戻り、会派の会合で、執行部案支援を呼びかけたそうです。

 ② 執行部案、会員提案議案とも否決しようとする動きがあるとのデマが流され、双方否決よりは、執行部案だけでも可決すべきと考えた人が相当数いたと思われること、~現に私のところにも複数の方からそのような問い合わせが来ていました。

 ③ 執行部のメンツ(日弁連への政治的影響力)を守るという名目で、会派上層部が一致団結したと思われること、~会派上層部の談合で決まったと思われる8号議案は、日本語としても明確でないにもかかわらず、その内容を執行部がわずかでも変更・修正することはできませんでした。

 ④ 秘密投票制度を利用できなかったため、事実上、誰が執行部案に反対しているのか分かってしまう状態であり、執行部に対する遠慮から真意に従った投票ができなかったと考えられること、~複数の年輩の先生から、秘密投票にしないと若手には本音の投票は無理だとのご指摘がありました。

 ⑤ 若手の多くは未だイソ弁であり、大変な就職活動の末ようやく雇ってもらったボス弁から給与をもらっている関係上、ボス弁の意向に逆らいにくい状況にあったこと、~そのような情報も届いていました。

 ⑥ 会内民主制が歪められている事実を、多くの会員が未だ知らないこと、~常議員会の、討論内容とかみ合わない極めておかしな決議結果について、多くの会員は知らされていません。

 ⑦ 委任状が大阪弁護士会に提出される関係上、執行部は事前に十分な票読みが可能であり、それにより戦い方を変更することができる状況にあったこと、~某会派の会合では委任状の数の現状が報告されていたようです。

 ⑧ 会員側には組織が何もなく、ごく少数の会員が自分の仕事を犠牲にして本件決議のために活動するしか方法がなかったこと、~実際には本当に大変でした。

 確かに、負けはしましたが、それでも意義はあったのではないか、と私は個人的に考えています。
 通常の臨時総会では、200名の席を用意しても十分余るくらいだそうですが、今回の臨時総会では450名以上の方の参加があり、この問題に関する関心の高さが明確になりました。少なくともこの問題の扱いに関して慎重に行わなければ、今回のように大慌てで会派を使って締め付けを行っても、会員の相当数の反撃を受ける危険があることは執行部、会派上層部も理解したことでしょう。それと同時に、これまで、会派上層部と執行部で談合して政策を決めてきたかもしれませんが、若手の意見を押さえつけて自分勝手に今までのやり方で問題を先送りにしても、いずれツケを払わなければならないときが来ることも少しは理解してもらえたかもしれません。

 私個人としては、過ちは素直に過ちと認め、直ちに軌道修正を行うべきで、それは大阪弁護士会のメンツや日弁連に対する政治的影響力よりも重要だと思っています。

 結果だけを見て批判・論評することは簡単です。しかし、今回執行部案に賛成された方は、少なくとも「昨年度と同程度の2100名程度の合格者でもやむを得ない、弊害があってもそれよりも大事なものがあるから弊害を甘受すべきだ」とのご意見なのでしょうから、直ちに就職難の修習生を雇ってあげるべきだし、来年からも就職難の修習生をどんどん雇ってあげるべきです。

 それが言行一致というものです。

 執行部案に賛成してやったから、執行部だけが弊害を甘受しろというのでは、身勝手といわれてもしょうがないでしょう。

PS 前回は冷静(冷徹?)な分析をされている小林先生のブログをご紹介しましたが、今回の臨時総会の意義を評価して下さる方として、弁護士寺本ますみ先生のブログをご紹介させていただきます。

 http://t-m-lawyer.cocolog-nifty.com/

映画 スカイ・クロラ~

 完全な平和が実現した世界で、大人達が作った、「ショーとしての戦争」。

 そこで戦い、生きることを決められた子ども達がいる。

 思春期の姿のまま、永遠に生き続ける彼らを人々は<キルドレ>と呼んだ。

 空と地表の境で繰り返される、終わらない愛と生と死の物語。

 宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」が話題になっている、この夏のアニメ映画ですが、私のお薦めはこの「スカイ・クロラ」です。ご覧になっていない方のために、詳しい内容を紹介することは避けますが、できれば事前の情報を入れずにご覧頂き、なんだかよく分からないけれど何かが心のどこかに引っかかると思いつつ、公式HPを見ると、もう一度映画館で見たくなる映画かもしれません。

 発進前に、ラダー・エルロン・エレベーターなどの動作をきちんとチェックするところ、計器板の表示、キャノピー越しの太陽、空の美しさ、リアルすぎる雲、飛び交う曳光弾など空戦シーンは圧倒的なリアリティに溢れています。人(キルドレ)の命がかかっている戦場なのですから、本来極めて残酷なシーンのはずなのですが、ここまでリアルに表現されると、空の描写と相俟って、却って非日常的な美しさすら感じてしまいます。

 一転して、地上世界の人間描写は、リアリティの感じられない、アニメ的な描写になります。

 キルドレではない大多数の人間にとっては、空戦シーンがショーであり、地上世界が現実であるはずなのに、映像表現は完全に逆です。

 原作は森博嗣の「スカイ・クロラ」ですが、映画では原作のラストが変更されています。私としては、映画のラストの方が好きです。

 上映している映画館は、ポニョほど多くはありませんが、空戦シーンだけでも、映画館の大画面で見る価値は十二分にあると思います。

大阪弁護士会臨時総会の結果~

 本日大阪弁護士会臨時総会が開催されました。

 結果は添付の写真の通りです。力及ばず、執行部案(8号議案)が可決されました。マスコミの取材もきていましたので、新聞各紙でも報道されるかもしれません。

 この事件に関する冷静なご意見を、花水木法律事務所の小林先生がお書きになっているので、参考までにリンクを張らせていただきます。

 http://hanamizukilaw.cocolog-nifty.com/

 法曹人口問題は、世代間対立の問題をはらんでいるというご指摘には賛成です。

 法律家として有能であっても、どうして政治的には稚拙になってしまう弁護士の方が多いのでしょうか。うまくはいかないものですね。

 今回の臨時総会に、ご協力いただいた方々、御支援いただいた方々に対し、心より御礼申しあげます。

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戦争を知らない大人たちに捧げよう。

彼らの過ちは、3つある。

子供たちが自分たちから生まれたと信じている。

子供たちより多くを知っていると思い込んでいる。

子供たちがいずれ自分たちと同じものになると願っている。

それら妄想のばかばかしさといったら、

戦争よりも悲惨なのだから。

~森博嗣著「スカイ・クロラ」より