弁護士増員で司法過疎は解消できるのか~3

2020年11月30日 0 投稿者: sakano

 何時も思うのだが、弁護士の援助を必要としている人がいても、その全てが弁護士にとっての需要ではない。相応の対価を支払って弁護士に法的問題の解決を依頼する人が弁護士にとっての需要なのだ。

 こういうと、一見冷たそうに聞こえるし、マスコミなどは、弁護士を必要としている人がいるので需要はあるではないか、弁護士は社会正義を実現するべきなのだから援助を必要とする人を救うべきだと暢気に言ってくれる。
 それを鵜呑みにしてしまう国民の方もいる。

 では逆に問おう。

 国民の知る権利にマスコミが大きな役割を果たしていることは、マスコミにとっても異論はないだろう。その上で、国民の知る権利に役立つからという理由で300円で新聞の全国紙に一面広告を打ちたい人を、新聞社は需要と捉えることができるのか。300円で全国ネットのTVで1分のCMを打ちたい人を、TV局は需要と捉えることができるのか。

 いずれも需要とはみなされないはずだ。

 もっと身近な例で言うと、バス停でバスを待っている人たちは、直ぐに乗れて家の前まで行ける便利なタクシーを利用できたら有難いと、おそらく全員が心の底で思っているかもしれない。しかし、実際にはタクシーを使う人は僅かだ。このようにバス料金よりも高いタクシー料金を支払ってタクシーを利用しようと思う人だけが、タクシーにとっての需要である。
 タクシー会社の役員が、バス停にはバスを待っている多くの人がいるから、タクシーの需要はたくさんあるはずだと考えて、大増台に踏み切ったとしても、実際にタクシー料金を支払える人が増えない限り、増台に見合うだけの需要は喚起できず会社を傾けるだけだろう。

 それと同様に、弁護士の援助を必要としている人がたくさんいるから弁護士の需要はあるという主張も、一見正しそうに見えるが、上記のタクシーの例と同じで、極めて短絡的で誤った主張なのである。

 ここで誤解して欲しくはないのだが、私は弁護士費用を支払えない人を切り捨てろと主張しているわけではない。弁護士費用を支払えない人にも弁護士の法的支援が必要ならば、弁護士が生きていけるだけの正当な弁護士費用を得られるよう制度を作る必要があるということなのだ。

 弁護士も、生計が成り立つのであれば、弁護士過疎地域であっても事務所を開くことは十分にある。前述したように20年近く前と比較して裁判事件数が年間で200万件近くも減少し、弁護士数が2倍以上に激増している現在では、生計が成り立つ地域を探すのは相当大変なのである。

 このような状況下において、なおゼロワン地区が存在するということは、当該ゼロワン地区は、弁護士が開業しても生計が成り立つ可能性は極めて低い地域であると考えるのが妥当だろう。

 仮にそれでも、日弁連執行部が弁護士ゼロワン地域の解消が必要だというのであれば、とても簡単な解消方法がある。

 日弁連の会長・副会長勤務者(経験者)が、執行部の任期終了後、ゼロワン地区に何年か行けば良いのである。

 日弁連の会長・副会長となって日弁連の梶取りをしようと考える方々が、ゼロワン地区の解消を真に願っているのであれば、過疎地解消を自ら率先してやれば良いだけの話である。

 何も若手を頼る必要などないではないか。

 日弁連会長は2年に1人、副会長は1年で15名もいるのだから、仮に3年過疎地に行ってもらったとしても、日弁連会長は2名、日弁連副会長は15名×3=45名、合計50名近くもの過疎地弁護士が生まれることになる。5年行ってくれるなら、80名近くだ。ゼロワン地区なんてあっという間に解消だ。弁護士過疎地としても日弁連執行部で会長・副会長を努めた立派な先生方が来てくれたら大歓迎だろう。

 そして過疎地で、需要を掘り起こし、弁護士が社会生活上の医師として有用であることをアピールしてくれれば、後に続く若手も随分楽になるというものだ。

 ゼロワン地区を解消したいという方針を執行部がとっているのだとすれば、執行部の先生方の意向は、当然ゼロワン地区の解消に積極的であるはずだ。

 まさか、弁護士業が経済的に成り立つか分からないゼロワン地区に若手を送り込むことは熱心にやりたいが、自らがゼロワン地区解消に向かうのは嫌だとは言わないだろう。

 選挙公報などを見れば、きれい事ばかり言って、結局現場は他人任せにすれば良い、などという無責任な覚悟で立候補した(候補者となることを承認した)先生方がいるとは到底思えないからだ。

 日弁連執行部の先生方は、自らの栄達や名誉欲のためではなく、全ての弁護士のためにわざわざ立候補されたはずだ。

 そして、ゼロワン地区の解消が全ての弁護士のために有益であるし、弁護士界にとって真に必要だとお考えなのであれば、他人にその問題の解決を押しつけることなく、自ら実現することに躊躇される必要は全くないではないか。

 それができないのであれば、(他人を犠牲にした上での)過疎地解消は必須などと偉そうに言って欲しくはないし、自ら出向くことを躊躇するような過疎地に若手を送り込もうと画策すべきじゃないと思うんだがなぁ・・・・。

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