現実を見た方が良いのでは?

 中教審の法科大学院等特別委員会の議事録をときどき読んでみるのだが、何時も法科大学院制度は素晴らしいはずだという現実離れした前提を当然としたお話しがほとんどなので、どうしてなのか疑問に思っていた。

 ふと気になって、議事録の他に委員に配布される配付資料の項目を見てみたところ、ある点に気付いた。

 私が項目だけを見た限りではあるが、司法試験の結果(合格率・法科大学院別合格率など)に関する資料は多数配布されているようだが、司法試験受験生がこんなに問題のある答案を書いているという事実を摘示する唯一の資料ともいえる、採点実感等については、どうやら法科大学院等特別委員会では配布されていないようなのだ(配布されているかもしれないが、きちんと検討して法科大学院教育を反省するような議論は見たことがない。)。

 採点実感を見れば、最近の司法試験受験生(しかも短答式に合格したはずの受験生)の答案が如何にひどいものかが幾つも指摘されている。ほとんど全ての科目で論証パターンの暗記ではないかとの指摘がなされているし、基本的知識がない、基本的理解ができていない、という採点者の悲痛な嘆きを窺わせる指摘のオンパレードだ。

 良好な答案・一定水準の答案はこんな答案という例示もあるが、かなり問題のある答案であっても良好な答案のレベルと評価していたり、相当まずい答案でも一定水準の答案として評価している事実も示されている。

 令和元年の公法系第1問では、仮想の法案の立法措置についての合憲違憲が問われたが、そもそも問題文に記載されている仮想の法案の内容を誤って理解して論じた答案が多数あったと指摘されている。
→簡単に言えば問題文が理解できずに答案を書いた人間が多数いるということだ。

 同年公法系第2問でも、問題文や資料をきちんと読まずに回答しているのではないかと思われる答案が少なくなかったと指摘されている。「問題文を精読することができないのは,法律実務家としての基礎的な素養を欠くと評価されてもやむを得ないという認識を持つ必要がある」とまで指摘されているのだ。
 ちなみに、少なくないという表現は極めて控えめな表現であり、実際には多いということだ。

 民事系科目においても状況は同じである。

 第1問「不動産賃貸借の目的物の所有権移転による賃貸人の地位の移転について当然に承継が生ずるのは,賃借人が対抗要件を備えている場合に限るという基本的な理解が不十分な答案が多く見られた。」
 →こんな知識は、私が受験生の頃であれば、予備校の入門講座で押さえるべき知識である。

 「(不動産の)設置又は保存の瑕疵と材料の瑕疵とを混同する答案が少なからずあった。また,所有者の責任は占有者が免責された場合の二次的なものであることを理解していなかったものも相当数見られた。」
 →条文を確認すればすぐに分かるレベルのものである。

「・多くの受験生が,短時間で自己の見解を適切に文章化するために必要な基本的知識・理解を身に着けていない」
 →短時間と留保をつけてはいるが、要するに(短答式試験に合格している受験生であっても)その多くが基本的知識も、基本的理解もできていないということである。

 第2問においても、

 「基本的事項について、条文に沿った正しい理解を示していない答案が少なくなかった」

 「問いに的確に答えることができることが必要であろう」

 「問題となる条文及びその文言に言及しないで,論述をする例が見られ,条文の適用又は条文の文言の解釈を行っているという意識が低い」

 等と、もはや問題文で提示されているのが、どの条文の問題かすら明確にできないし、問いに答えることすらできていないという指摘まであるのだ。

 もっと書いてやりたいが、あまりに指摘すべき点が多いので、詳しくは法務省のHPにある司法試験の採点実感を御覧頂きたい。
 いまの司法試験論文式が、如何に選別能力を失っているかが良く分かる。

 このような指摘が現場からなされているにも関わらず、法科大学院教育の成果を見るために最も適した資料であるはずの採点実感を、何故法科大学院等特別委員会で検討しないのか。

 何ら実証されていない、プロセスによる教育の理念とやらを振りかざし、予備試験を敵視して気炎を上げるのも良いかもしれないが、まず自分達の教育結果を素直に見てみたらどうだ。

 かつてあれだけ、大学側が敵視していた論証パターンの暗記も一向になくならないどころか、ますます隆盛のご様子だ。

 何やってんだ法科大学院のお偉い先生方は。

 どんな教育をしてるんだ。
 

不都合な真実に目をつぶるのも結構だが、少しは現実を御覧になったらいかがか。

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