司法試験の合格率はかつての20倍(!?)になりそう・・・。

 今年の司法試験受験者のうち、途中退出せず採点対象者となる人の数は、法務省発表によれば、3664人であり、昨年度の4429人よりも765名減少した。
 仮に昨年度並みに合格者を1500人程度とした場合、司法試験の合格率は、
 1500÷3664=40.94%(小数点第3位を四捨五入)となる。

 これは相当高い数字であり、かつて言われた司法試験=現代の科挙とは到底いえない合格率になっている。しかも法務省は、短答式試験は基本的な出題しかしない(要するに出題のレベルを落とす)と敢えて明言するに至っている。

 したがって、上位合格者はともかく、そうでない司法試験合格者のレベルはかなり落ちてきていることは容易に想像がつく。

 このように書くと、法科大学院擁護派の人から、今の司法試験は原則法科大学院を卒業した人が受験するので、合格率は高くとも合格者の質は維持されている、と根拠のない批判を受けることがある。
 
 この批判に対する回答は簡単である。
 「司法試験の採点実感を読んでください。」で事足りる。

 採点実感を読めば分かるが、基本中の基本も書けていないという指摘が目白押しだ。かつて司法試験受験生は予備校に通って論点暗記ばかりしている、法科大学院でその弊害は除去できる、と大学側は主張して法科大学院導入を推進した。しかし、結局法科大学院制度が導入されて論点暗記主義は未だ健在であり、全く関係がない論点を延々披露する答案が多数ある(しかもその傾向は年々ひどくなりつつある)ことも明らかにされている。

 要するに、法科大学院制度ができて15年以上経ったが、基本的なことも身に付いていない司法試験受験生が多いし、論点暗記主義も一向に減少していないということになる。

 しかも、司法試験受験生は減少の一途をたどり、これに伴い競争率も低下の一途である。
 これで司法試験合格者の質が維持できていると主張するのは、町内大会の上位1500名と、全国大会の上位1500名は同レベルだと強弁するに等しい。

 おそらく、今の受験生のレベルでは、かつて合格率2%程度の時代の、短答式試験で合格点(75%~80%程度)を取れる人間はそう多くはいないと思われる(合格点を取れる受験生が多いのなら、法務省が短答式試験のレベルを落とす必要もない。)。
 しかも、かつては短答式試験に合格して選抜された者(おおよそ5人に1人)の中で、さらに論文式試験に合格し最終合格にまで至るのは6~7人に1人だったのだ。

 結果を素直に見れば、法科大学院制度は、法曹志望者を減少させ、司法試験合格者レベルを落としたばかりではなく、税金を食い潰すという代物であった、ということになる。発足して15年以上も経つのに未だに教育内容の改善が急務とされていることからも、そもそも理想だけが先行した無茶な制度であったことは理解できよう。

 かつて成仏理論と称して、人々のお役に立てているなら飢えることはないなどと暢気なことを言った学者さんがいた。私はそんな無茶苦茶な話はないと思っているが、仮に彼の成仏理論が正しいと仮定した場合、経営が成り立たずに潰れた法科大学院が多数存在するという事実は、法科大学院制度が、結局、人々のお役に立てていなかった制度であったということを裏付ける、皮肉な理論になってしまったということにもなるだろう。

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