今からでも間に合う(かもしれない)司法試験サプリ(4)~司法試験で問われているもの2の2

2020年4月14日 0 投稿者: sakano

※無関係な論点記載は有害的記載事項

 関係しそうだからとりあえず知っている論点だけでも・・・と、覚えた論点を書きたくなる気持ちはわかるが、それが問いに答えるために必要のない論点であった場合には、無益的記載事項ではなく有害的記載事項とされることは覚えておくべきだ。


 例えば大学入試の数学の問題で、微積分の出題に対する解答欄に、ただでさえ不十分な解答しかできていない受験生が、さらに答案中に全く関係のない(その問題を回答するためには全く必要がない)三角関数の余弦定理を書き込んでいたら、それを採点する際に完全に無視できるだろうか。

 「微積分の出題に対して、問題に対する解答すら不十分なくせに、答案中に全く関係のない三角関数の定理なんぞ書きやがって・・・、こいつは数学っちゅうもんを全くわかっとらんのとちゃうか?」
 という疑念が採点者に湧いても不思議ではないだろう。いったんそのような印象を与えてしまったら、採点者が、「こいつは基礎的な点に問題があるかもしれんぞ」と、さらに注意深く答案の粗を探す気分にならないと誰が言えよう。

 この例と同じで、問いに答えるために必要ではない論点を答案に書くということは、それ自体、「私は、問いに答えるためではなく、何も分からずに書いています。論点ブロックを暗記したとおりに書いていますから、私は論点暗記主義者でございます。」という自白に等しい。したがって、そのような答案を書いておきながら採点者に法的思考力を認めてくれといっても無理な話である。

 そもそも法科大学院制度導入の議論の際に、司法試験受験生の論点主義化が大きく批判の対象とされ、法科大学院制度を導入すれば解消できると大学側が豪語して導入に至ったという経緯からしても、論点暗記主義者や、論点ブロック暗記の披露を、司法試験で評価するわけにはいかないはずなのだ。

 必要もない論点を記載する例が多い、論点主義の弊害ではないか、という採点者の指摘も毎年多くなってきていることからも、無関係な論点記載は厳に慎むべき行為だということはわかるはずだ。

 確かに、本試験会場ではおそらく受験生は心神耗弱状態に近いだろうから、どこまで冷静に自分の記載内容を判断できるかは未知数だ。そのためにも、これまでの自分の答練の答案等を読み直し、本当に必要な論点だけの答案になっているのか、自分が余事記載をしがちなのはどういう場面が多いのか、くらいを分析しおくと、役に立つかもしれない。
 いずれにせよ、必要もない論点を書くくらいなら、多少の論点の記載を書き落とす(そして余力を基本的な部分の記載の充実に回す)ほうが、ミスとしてまだ数倍ましだともいえることは覚えておいて損はないと思う。

※事実は評価して使え(占い師になるな!)

 主にあてはめの際等に必要になる可能性が高いが、問題文の事実を用いるときは、きちんと評価して記載することも大事だろう。

 問題文の事実を単に引用して、「○○という行為は××にあたる。」と事実と結論を直結して書くのではなく、「○○という行為は、~~という理由で(△△と評価できるから)、××にあたる」と書くのが原則だ(但し、他に記載すべき重要論点が多数ある場合は、バランスを考えてどこまで記載するかを考えることは必要)。

 例えば、XがYに「車を貸してくれ」といって、Yから車を騙し取った場合に、あっさりと「Xの『車を貸してくれ』という発言は、詐欺罪の欺罔行為に該当する」と論述してしまうと、これは問題のある記載ということになりかねない。

 「車を貸してくれ」という発言の事実一つとっても、単にXがデートのために貸してほしいという動機で使用貸借の申し入れ意思を表明している場合もあれば、Xは内心では最初から騙し取るつもりで「車を貸してくれ」と言っている場合もあるだろう。
 前者の場合は詐欺罪の構成要件たる欺罔行為に該当しないが、後者の場合であれば、詐欺罪の構成要件たる欺罔行為に該当し得る。

 しかし、翻って考えてみると、外から知覚できるのは、Xの「車を貸してくれ」という発言だけなのだ。その発言だけを見れば、デートのためなのか騙し取るためなのかは、全く区別がつかない状態なのだ。

あなた:昨日、Xは私に向かって「車を貸してくれ」と言ったのです。
占い師:あいわかった。Xは車をだまし取るつもりだったのじゃ!
あなた:え!なんで?なんで、そんなことがわかるんですか!?

 上記のやり取りからもわかるように、占い師でもない限り、単に「車を貸してくれ」という発言があったという事実そのものだけから、その発言が詐欺罪の欺罔行為に該当し得ると断言できるはずなどないのである。

 そうだとすれば、「車を貸してくれ」という発言に対して、受験生が何らかの評価を下しているからこそ「欺罔行為に該当する」といえるはずなのだ。
 「車を貸してくれ」という発言に加え、ほかの事情も合わせ考慮して、「車を貸してくれ」という事実につき、欺罔行為に該当するかどうかを受験生が判断・評価(例えば、『~~という事情からすれば当該発言は、相手方を錯誤に陥れ、その錯誤に基づいて被告知者に財産的処分行為を起こさせる目的で行っていることは明らかであるから・・』等の評価)を行っているはずなのだ。

 だから、問題文の事実を評価せずに結論に結び付ける記述方法(問題文の事実を拾って直ちに結論に直結させる記載方法)は、多くの場合、論理的に飛躍があることになる。

×(占い師の発想) 
 Xの「車を貸して」という発言は詐欺罪の欺罔行為に該当する。
 →事実だけから何の根拠も示さず直感で法的評価を下していることになる。

〇(法律家の発想)
 Xの「車を貸して」という発言→当該発言についての評価→詐欺罪の欺罔行為に該当する。
 →事実について、その事実の持つ意味を合理的に評価して、法的に意味のある行為と判断するに至っている。


 
 黙って座ればぴたりと当たる占い師のように、問題文の事実だけを引用して、直ちにその行為が法的に~~という意味のある行為である、と断言することには危険が潜んでいるということは、十分注意しておきたいところだ。

 
 この点についても、採点実感では試験委員がずっと前からくどいほど、注意をしている。
 ということは、この点をきちんと押さえることができれば、群を抜ける可能性があるということでもあるのだ。

 特に、問題文の事情だけをいくつも抜き出し、突然結論づける論述方法が少なくない(実は多い)ことを試験委員は嘆いている。嘆くのも当たり前だ。問題文の事実から直ちに結論が出せるのは、占い師でしかない。

 司法試験は占い師を選抜する試験ではない。法曹の卵として鍛えればモノになる可能性があるかを試している試験だ。占い師の答案を書かないように気を付けなくてはならない。但し、再度繰り返すが、他に記載すべき重要論点が多数ある場合は、バランスを考えて、どこまで記載するかを考えることは必要であることには注意を払う必要がある。

(続く)

世相(ラトビア・リガ)

Follow me!