今からでも間に合う(かもしれない)司法試験サプリ(3)~司法試験で問われているもの2の1
次に、司法試験委員でもあった教官が仰った「論理力」だが、これは、少し説明が必要だろう。
まず、なによりも、きちんとした法的三段論法を踏まえた論理的な文章をかける力が必要だということだ。
※自分だけが論理のつながりを分かっていてもダメ
自分では、論理的に記述したから大丈夫、と思っていても、答練の添削などで「論理が飛んでいる」とか「意味が分かりません」等と指摘されたことがあるなら要注意だ。以前に受験した論文本試験で、大体論点には触れた答案を書いたはずなのに、なぜか低評価をつけられたと感じる人も同様のミスを犯している場合がありうる。
自分は論理的に書いているのに、採点者が理解してくれない、採点者に実力がないからだ、などと責任転嫁をせずに、素直にそこは直すべき点と考えてよいだろう。
まだまだひよっこの採点者(修習生であることが多いだろう)がななめ読みしただけで、おかしさに気づく文章であるとすれば、一流の実務家・学者の目から見れば、おそらくもっと頓珍漢な文章に見えるに違いないからだ。ひよっこの添削者すら説得できない答案で、どうやって一流の学者・実務家を説得できるというのだ。
かといって難しく考える必要はない。
主語と述語の対応はきちんとしているのか、
文章はきちんと論理的につながっているのか、
接続詞は適切に使われているか、等に気を配るだけでも随分と印象が良くなるものだ。
ナンバリングを適切に行うことも効果的だろう。
法律要件ごとに、法解釈の記述と事実の認定(あてはめ)を明確に分けて記載することも肝要だ。
少し拙い表現に見えても、一文を短くし、一文で一つのことだけを書くという方法は有効だ。一文が長くて何を言っているのか一読してわからない答案と、表現としては拙いが、一文一文が短く論理的な文章を積み重ねた分かりやすい答案とを比較すれば、どちらが採点者に好感を持ってもらえるかは分かるはずだ。
しかし→しかし→しかし等のように、逆説で二転三転する内容の文章となっていないかについても、気を付ける必要があるだろう。
近時、法的な文章というよりも、そもそも日本語としておかしな文章が増えているという指摘が採点実感に多いことからしても、内容的に同じような答案であった場合に、きちんとした文章で書かれた答案のほうが評価が高くなることは当然だろう。
※答案は問いに答えるためのもの
もちろん、答案は試験問題に対してきちんと正面から答えるものでなくてはならない。答案は、書きたいことを自由に書いて良いものではない。あくまでも問題に答えるために記述するものだから、最初の一文字から問いに答えるために必要だから記載される必要があるし、最後の句点まで、問いに答えるための一貫した論理でつながっている必要がある。
また、結論は必ず問いに答えた形で締めくくるのが原則だ。
「Aは,本件取消訴訟において,本件事業認定の違法を主張することができるか。」(令和元年度公法系第2問設問1)と問われたのであれば、答案の結論部分は、
「Aは,本件取消訴訟において,本件事業認定の違法を主張することができる」または
「Aは,本件取消訴訟において,本件事業認定の違法を主張することはできない」
と記載されなければならないのが原則だ。
(続く)
