今からでも間に合う(かもしれない)司法試験サプリ(2)~司法試験で問われているもの1
※司法試験で問われているのは、正確な基礎知識と論理力だ。
私が合格した後に、司法修習で教わった教官(当時憲法の試験委員をされておられ、最後は高裁長官まで務められた裁判官)は、「あの程度の文章を書かせるだけで判断できるとすれば、正確な基礎知識と論理力くらいしかないでしょ?」と、事も無げに仰っていたものだ。
まずは正確な基礎知識から始めよう。
それくらい身についているはずなのに、なぜか合格しないと思う人がいたら、チェックしてみてほしい。
ただの基礎知識といっているのではない、「正確な」基礎知識なのだ。
「正確な」基礎知識を身につけることは意外に難しい。
例えば、株主平等原則は?と問われた際に、きちんと基本書に書かれているような、「正確な」定義が出てくるだろうか。大体こんな感じ、という自分流の表現しかできないレベルでは、司法試験が求めているレベルに足りないのだ。
法律家は、文章で主張をやり取りすることが多い。このような主張・反論を行う文章において、同じ文言について、各自が勝手に、こんな感じ~という自分流の定義で主張しあっていても、議論は混乱するばかりで何ら解決に向かうはずがないだろう。
だとすれば、基本的な知識においてすら正確性を欠く人間を、一流の学者と一流の実務家で構成される試験委員が、法曹にしてもよいと思うはずがないではないか。
そればかりではなく、基本的知識において正確性を欠くことは、当該科目の基礎が分かっていないとの推定を試験委員に及ぼすので、受験生が想像する以上にダメージが大きくなると考えたほうがいいのだ。
おそらく、基本的な知識の正確性が欠けている場合、いくら応用・先端的な議論ができても、試験委員の評価につながりにくい。土台がしっかりしていないのに、きちんとした建物が建てられないのと同様だ。応用・先端的な議論が書けていても、基礎ができていないのだから、応用部分については、どうせ意味も分からず暗記しただけなんだろう、と試験委員は考える危険性が高い。
逆に、基本的な知識が正確でしっかりしている場合、応用・先端的議論で多少ミスをしていても、基本ができているから時間に追われてミスったのかな、基本ができているなら、後の勉強で追いつけるのではないか、と思ってもらえる可能性がでてくる。
近時の採点実感では、下記の引用の通り、採点方法として、ある部分がだめでも答案全体として評価を行う方式になっているため、なおさら基礎的な部分での論述をおろそかにしてはならないのだ。
※(平成29年度採点実感民事法第1問より引用) 採点項目ごとの評価に加えて,答案を全体として評価し,論述の緻密さの程度や構成の適切さの程度に応じても点を与えることとした。これらにより,ある設問について法的思考能力の高さが示されている答案には,別の設問について必要な検討の一部がなく,そのことにより知識や理解が不足することがうかがわれるときでも,そのことから直ちに答案の全体が低い評価を受けることにならないようにした。また反対に,論理的に矛盾する論述や構成をするなど,法的思考能力に問題があることがうかがわれる答案は,低く評価することとした。また,全体として適切な得点分布が実現されるよう努めた。(引用ここまで)
昔の司法試験だと、ある設問でしくじるとサヨナラ答案(その一通だけで不合格が決定する答案)だったと思うが、今はそうではない。ある設問でしくじっても、他の部分で挽回が可能なのだ。採点者がそう言っている。受験生としては、それを生かさない手はない。
だとすれば、(論述のバランスを欠かないという前提であるが)基礎的な論点であればあるだけ、緻密に、知識や理解不足がないように採点者に示すことが有効となってくることは理解できるはずだ。
基礎的な論点の知識、理解を示すためには、正確な基礎知識が不可欠だ。
成績が伸び悩んでおられる方は、まず、自分の基本的な知識が本当に正確かについて、再度確認・チェックしてみてもよいだろう。
なお、予備校のテキストは引用自体を誤っている場合もありうるので、時間が許すなら基礎知識のチェックは定評のある基本書に従うのがベターだ。
一見時間がかかりそうだし、面倒くさいと思うかもしれない。だが、すでに基礎知識については、当然ある程度の記憶はできているはずだから、その記憶を訂正してブラッシュアップすればいいだけなので、短い時間でも実はやれてしまうのである。
採点者の実感でも、基礎的な部分で誤っている、基礎的な知識が欠如している等の指摘が目白押しなので、その中で、しっかりとした正確な基礎知識が示せるだけでも随分と採点者に対する印象は異なってくるはずなのだ。
(続く)
Stockholm夕景