諏訪敦 絵画作品展 「どうせなにもみえない」 その2~ 2011年08月05日投稿

2020年3月10日 0 投稿者: sakano

 京都の自宅を午前4時頃出て、途中、高速道路のSA等で休憩しつつ、長野県諏訪市を目指した。

 午前8時50分頃に、諏訪市美術館に到着。諏訪市美術館は初めてだが、その隣にあるレトロな片倉館(共同浴場~しかも重要文化財)なら、何度か利用したことがある。

 駐車場に車を止め、開館と同時にチケット(大人500円)を購入して、入場。諏訪市美術館自体も、片倉財閥が築いたレトロな雰囲気を持つ建物(歴史的建造物)で、雰囲気は非常によい。諏訪敦の作品展は2階で展示されている。

 開館直後に入場したせいか、展示会場では、蛍光灯が明るく灯っていて、まだ掃除機がかけられている。係の人が、「掃除が終わったので、蛍光灯を消しますね。」といって去っていく。と思う間に、蛍光灯が消され、それと同時に平凡に壁に掛けられていた作品が、薄暗い空間の中に浮かび上がる。
3段真空管が奏でる、BGMの演奏も開始された。

 絵を時計回りの順番で見ていく。

 まだ開館直後で、他にはほとんど客はいない。

 じっくり見るには最高の環境だ。

 写実表現で注目されているだけあって、諏訪敦の作品は、髪の一本一本に至るまで極めて精緻に且つリアルに表現されている。
 しかし、そこに描かれている人物、特に女性に関して、本来皮膚から発散されているはずの、ぬくもりがどうしても感じにくい気が、なぜかするのだ。

 髪はリアルだ。女性が髪をかき上げる際にさらさらと指からこぼれ、流れ落ちるような、感触すら感じ取れそうだ。しかし、それ以外の部分について、この女性は生きているといって良いのだろうか。そう感じてしまうくらい、冷たい感覚を感じる場合があった。

 上手く言えないのが残念だが、リアルに表現されながら、なぜか現実感のない不思議な感覚が、ずっとつきまとう。

 よく見てみれば、なぜか、諏訪敦は、絵に一見汚れのような、「何か」を描き込んでいる場合がある。
 展覧会ポスターとなっている、髑髏を掲げた女性の絵においても、交錯する両手のあたり、うなじのあたりなどに顕著であるが、薄い、オーラのような「何か」を書き込んでいる。頭部が骨となっている麒麟の絵においても同じだ。

 故意に違いない。女性の爪に反射する光すら鋭敏に描きとっている諏訪が、過失でこのような汚れを残すはずがない。
 一体これは何を意味するのか。

 そして、この作品達に囲まれて否応なく感じざるを得ない、このリアルでありながら現実感に欠ける不思議な感覚はなんなんだ、と自問しながら、私は先へ進む。

 大野一男を描いた連作を眺め、次に移ろうと視線を外した瞬間のことである。
 視界の隅で、赤い衣装を纏い、真ん中に展示されていた、大野一男が突然動いた。
 私の視界の隅で、大野一男が口を一瞬かっと開けた・・・・・ように見えたのだ。

 慌ててそちらに視線を戻したが、もちろん絵が動くはずがない。でも確かに視界の片隅で、私の感覚は、動く大野一男を捉えてしまった。
 この世のものではない異空間を感じたかのように、ざわっとした感覚。

 私は、すでに尋常ではない空間に取り囲まれていたことにようやく、気付く。

 最後に展示されていたのは、NHKの番組でドキュメントされていた、作品「恵里子」だ。亡くなった娘を絵によって蘇らせて欲しい、という父親の切なる願いを叶えるための作品だ。制作のために参考にされた衣服・時計・義手なども展示されている。

 よく、ご遺族が貸し出しに同意されたものだ、と思いながら私は「恵里子」を見つめる。

 やはり極めてリアルな描写、しかしこちらを真っ直ぐに見つめながらも心の動きが表れていないように思われる表情、特に手の部分において冷たい感覚、そしてオーラのように彼女を包み込んで描かれている不思議な「なにか」。

 私の勝手な想像だが、この作品は、亡くなられた娘さんを蘇らせたものではない。

 文字盤のない時計。「恵里子」さんを覆うオーラのような何か。その表情。

 彼女が外して持っている時計に文字盤が描かれていないことから、絵の中の彼女にとって、時間は、もはや意味がないことが示されている。
 彼女を包み込み、彼女とこちらの世界を隔てるかのように描き込まれたオーラのような「何か」によって、決して交錯することのない世界に彼女が存在していることが暗示されている。
 心の動きが現れていないように思えるその表情は、既に彼女があらゆる現世のしがらみから解き放たれ、もう何者にも心を乱されることがない世界に旅だってしまったからではないのか。

 卓越した写実の力を用いながら、絵画によって娘を蘇らせて欲しいと願う父親に、諏訪は極めて遠くから、優しく、現実の受容を促していたのではないのだろうか。

 そう考えると、諏訪が絵の中に書き込んでいる薄いオーラのような「何か」は、実は、現世と現世ではない世界を明示するために、敢えて書き込んでいるのではないか、という気もしてくる。

 余りに卓越した写実の力故に、現実と現実ではない諏訪に描かれた世界が諏訪自身の中で混同を来さないように、若しくは、諏訪によって描かれた世界が現実世界に現れることを諏訪自身が無意識に恐れるが故に、敢えて無くても良いはずの「何か」を書き込んでいるのかもしれない、そう思えてきた。

 上手くは言えないが、異空間を体験させてもらった絵画展であったように思う。

(※上記の感想は、あくまで坂野の個人的な感想であり、諏訪敦さんや他の方が全く違う解説をされているかもしれません。悪しからずご了承下さい。)

 図録の販売はないが、求龍堂から発売される、諏訪敦絵画作品集(画集)が、会場で先行販売されている(税別3800円)。

 明日8月6日、13:30から諏訪敦本人によるギャラリートークも予定されている。機会があれば是非ご覧になることをお勧めする絵画展である(絵画展は9月4日まで)。

(諏訪敦 公式サイト)

http://members.jcom.home.ne.jp/atsushisuwa/

(諏訪市美術館公式サイト)

http://www.city.suwa.lg.jp/scmart/index.htm

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