よくわからん予備試験制限論~1~2017年2月16日投稿

2020年2月7日 0 投稿者: sakano

 法曹養成制度改革推進会議は、その決定文の中で次のような指摘をしており、法曹養成制度改革連絡協議会はこの決定文をしきりに引用していることに鑑みれば、法科大学院側は、どうもこの記載をテコに、予備試験の制限を狙いたい考えのようだ。

 『予備試験受験者の半数近くを法科大学院生や大学生が占める上、予備試験合格者の多くが法科大学院在学中の者や大学在学中の者であり、しかも、その人数が予備試験合格者の約8割を占めるまでに年々増加し、法科大学院教育に重大な影響を及ぼしていることが指摘されている。

 このことから、予備試験制度創設の趣旨と現在の利用状況がかい離している点に鑑み、本来の趣旨を踏まえて予備試験制度の在り方を早急に検討し、その結果に基づき所要の方策を講ずるべきとの指摘がされている。』(法曹養成制度改革推進会議決定文より)

 しかし、私は思うのだ。

 法科大学院教育が重大な影響を受けようと、それがなんなのだ。

 法科大学院経由だろうと予備試験経由だろうと、優秀な法曹が生み出されれば国民の皆様にとってはその方が有益なはずだ。

 では予備試験合格ルートで実務家になる者は、実務界ではどのように扱われているのだろうか。

 69期司法修習生において、

 裁判官任官者78名中、予備試験合格者8名

 検察官任官者70名中、予備試験合格者7名

 ほぼ10%以上が予備試験合格ルートの者だ。

 従前から指摘しているように、大手法律事務所の多くは、予備試験合格者を特別な事務所説明会に招くなど、予備試験合格者を競って採用する傾向にある。

 そして、大手法律事務所の予備試験合格者を優先的に採用する傾向は、ずっと変わっていない。

 このような採用状況を素直に見れば、少なくとも、予備試験合格者を採用しても裁判官、検察官として特に問題があるわけではないばかりか、弁護士としてはむしろ予備試験合格者の方が大手法律事務所に求められている状況にあるといってもよいだろう。

 はっきりいってしまえば、法科大学院や文科省がアホの一つ覚えのように繰り返す、法曹教育の理念やら、プロセスによる教育なんぞに、実務界では、これっぽっちも価値を認めていないし、予備試験合格者が法曹になっても全く問題は無いということを実質的に認めているというべきだろう。

 分かりやすく例えてみれば、こう言えるかもしれない。

 ○○法科大学院ラーメン店があったとしよう。

 この○○法科大学院ラーメン店が、衛生的で美味いラーメンを作るという理念を掲げ、国民の血税を投入してもらってお金のかかる清潔な設備を揃えて、高価なラーメンを作っている。しかし肝心のラーメンが不味く、しかも高いので、当然のことながらお客は少ない。

 これに対し、特に理念はなくても、また多少清潔感に欠けていても(実質的にはお客の健康には何の問題もない)美味いラーメンを安く作る屋台の方にお客は流れる。

 いくら屋台のラーメン屋には理念がないとか、清潔感に欠けるから食品を扱うラーメン屋の趣旨に反していると叫ぼうが、高価で不味いラーメンしか作れないのであればその○○法科大学院ラーメン店に価値はない。しかも、○○法科大学院ラーメン店は、開店以降10年以上経っても未だに、元締めの文科省からラーメンの質の向上を図るよう指摘され続けている情けないラーメン屋なのだ。

 ところが、○○法科大学院ラーメン店とその元締めの文科省は、自らのラーメンの味の向上ができないことを棚に上げて、「いくら美味いラーメンを作っていても屋台には多少清潔感に欠けるところがあるではないか、それは食品を扱う店としての趣旨に反している。また屋台には、美味いラーメンを作ろうとする理念がない。」、等と言い出して、実質的にはなんの健康問題もおこさず安くて美味いラーメンを提供して繁盛している屋台に対して、文句をつけ、制限しようしているのだ。

 もし、本当に法科大学院や文科省がいうような、法曹教育の理念やプロセスによる教育が法曹に本当に必要不可欠なら、最高裁や法務省は法科大学院出身者だけを採用するはずだし、大手法律事務所が競って予備試験合格者を採用しようとするはずがないではないか。

 しかも、5年間3回の司法試験受験制限をかけていたときの理由として、文科省などは確か、法科大学院教育の効果は5年で失われるから、受験制限しても不当ではないと主張していたのではなかったか?

 法科大学院や文科省のいう、法曹教育の理念やらプロセスによる教育が法曹にとって本当に正しく、かつ必要なものなのかについて、いったい誰が決めたんだ。根拠はあるのか?自分で都合の良いことを言ってるだけじゃないのか。本当に法曹教育の理念が正しくて、プロセスによる教育が法曹にとって本当に必要だということを誰もが納得するかたちで明らかにし、また、それを法科大学院教育で身に付けさせることが可能であることを証明してから主張すべきなんじゃないのか。

 かつて、司法試験の答案が論点主義に陥っているとの批判が強く、法科大学院制度を導入すれば、それを克服できるかのような説明もあったやに思うが、それも今は昔。実質的にはこの問題は未だに解決されていないのだ。

 例えば、平成28年度司法試験採点者の雑感を見ると、未だに論証を吐き出すだけで論理的思考が見られない答案が多いとの指摘がある。選択科目を除いてもざっと見ただけで、下記のような指摘がある。

★本年も,論点単位で覚えてきた論証をはき出すだけで具体的な事案に即した論述が十分でない答案,条文等を羅列するのみで論理的思考過程を示すことなく結論を導く答案などが散見された(公法系第2問)。

★総じて,条文の引用,判例の引用又は判例への言及が少なく,条文の適用若しくは条文の文言の解釈を行っているという意識又は最高裁判所の判例に対する意識が低く,問題の所在との関係で,条文の適用関係を明らかにしないまま,又は解釈上問題となる条文の文言を明らかにしないままで,論点について,条文等の趣旨を十分に考慮せず,又は判例を意識せずに,自説を論述する例が見られる(民事系第2問)。

★例えば,訴訟共同の必要に関する管理処分権に関する規範定立についてお決まりの論証パターンを持ち出す答案が極めて多く見られた。他方で,思考力が試される設問2や設問3(特に下線部③についての検討など)については,十分な水準に達したと言える答案は少なかったと言わざるを得ない。このような状況は,法科大学院の民事訴訟法教育を受けてきた受験生が,基本的事項の理解をおろそかにし,いわゆる論点主義的な思考パターンに陥ってしまっているのではないかという懸念も生じさせないではない(民事系第3問)。

★総じて,規範定立部分についてはいわゆる論証パターンをそのまま書き写すことに終始しているのではないかと思われるものが多く,論点の正確な理解ができているのかに不安を覚える答案が目に付いた(刑事系第1問)。

★今回の論文式試験では,主要な論点について暗記していたいわゆる論証パターンを単にそのまま書いたにすぎないように思われる答案が見受けられたが,それは法的思考能力を身に付けるために必要な,前記に指摘した諸点の重要性に関する理解・認識が不十分であるためではないかと思われる(刑事系第1問)。

プロセスによる教育を受けたはずの法科大学院卒業生の答案に対する採点者の雑感がこれである。

プロセスによる教育、敗れたり!

(続く)

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