プロセスはもう聞き飽きた~番外編2.2(ある弁護士の考えた法科大学院生き残り方法2)~2015年10月 7日掲載

2020年2月4日 0 投稿者: sakano

(前回の続きです)  

K弁護士によると、法科大学院を卒業しながら司法試験に合格できなかった人は、企業から見れば、実務家養成に特化したプロセスによる教育を2~3年も受けておきながら、旧司法試験よりも10倍以上合格率が高くなり間違いなく合格しやすくなった司法試験すら合格できなかった、というマイナスのスティグマを押されている可能性があるという。

 かつて、東大・京大の卒業生が、合格率2%の旧司法試験にチャレンジして合格できなかったからといって、就職の際に東大・京大卒業生がマイナスのスティグマをおされることはなかったはずだ。それは、旧司法試験の合格率が極めて低かったから、合格できなくても当たり前という共通認識ができていたからではないのか。  

そうだとすれば、現行司法試験の合格率を極端に下げれば、法科大学院を卒業して司法試験に合格できなくても、それは試験の合格率が低すぎるせいで、法科大学院生のせいではない、合格できなくて当たり前、と企業は受け取ってくれるのではないか。そうなれば、司法試験不合格のスティグマは回避できる。

 K弁護士は概ねそのように語ってくれた。  これに対して、確かにK弁護士のいうとおりである面はあるが、そうなると、法科大学院を卒業しても司法試験に合格できなくて当たり前となるため、わざわざ高いお金と長い時間をかけて法科大学院に通う意味が無くなり、誰も法科大学院に行かなくなるのではないか、との指摘を私はした。  K弁護士は、それでも法科大学院の生き残るみちはあるという。

 それは、法科大学院は、実務に精通した教員(一流の実務家教員)を大幅に増員した上で、外国語を含めて本当に企業の法務に役立つ知識、企業が法務面で現実に求めている能力を、法科大学院生に叩き込み、真に即戦力たり得る人材を育成することに注力すればいい、ということだった。

 もちろんその前提として、法科大学院卒業を司法試験受験の要件としてはならない。法科大学院卒業を司法試験受験要件とする限り、その裏返しとして法科大学院は、司法試験の合格者を出さなければならない役割を負い続けることになり、司法試験のくびきから逃れられないからだ。  そもそも、法科大学院ではプロセスによる教育によって、理論と実務の架橋もできるはずなんだから(少なくとも法科大学院はそう主張している)、当然実務に直接役立つ教育だって可能なはずだ。

 但し、真に社会で役に立つ人材を生み出そうとすれば、その教育の大部分は、理論だけを研究している学者ではなく、現実に社会で活躍している一流の実務家によってなされなければだめだ。実務を知らない者に実務の勘所、実務で役立つのはどのような知識であるかなど、わかりようもないからである。法科大学院は国民のために創られた制度であるはずで、学者の安易な就職先開拓事業であってはならない。

 そして、一流の実務家を中心に、法科大学院で実務で真に役立つ教育が本当になされ、厳格な卒業認定の下、素晴らしい人材が法科大学院から輩出されるのであれば、自然と企業からの評価は高まり、法科大学院卒業というだけでかえって高品質を保証するブランドになるはずだ。その中でさらに法曹資格を取りたいと思えばさらに勉強を重ねて司法試験に合格すればいいだけだ。

 そのようなブランドが法科大学院に構築できれば、司法試験受験資格を人質にとるとか、予備試験を制限せよなどと姑息な主張をしなくても、学生はこぞって法科大学院を目指すことになるだろう。素晴らしい教育を受けられて即戦力を身に付けられる上、法科大学院卒業自体がスティグマではなくブランドとなり、人生の成功へのパスポートになり得るからだ。 概ねこのような話をK弁護士から聞かせて頂いた。

 K弁護士の構想する法科大学院は、企業法務を念頭に置いた教育を想定しているため、果たしていわゆる人権派弁護士や企業側でなく個人の側に立ついわゆる街弁的な弁護士が育つかどうかについては若干疑問もないではない。しかし、法科大学院がなかった旧司法試験の時代でも人権派弁護士や街弁は生まれてきたし、法科大学院卒業を司法試験受験要件から外せば、法科大学院以外からの司法試験合格者も増えるだろうから、その心配も薄らぐだろう。

 そうだとすれば、社会に直接役立つための教育という観点からは、K弁護士のお話しも一理ある、と私は思った。

 ただ、残念ながら、現時点で

法科大学院卒業者にブランド力があるかといえば、そのような話は聞かれない。社会に直接役立つ教育を法科大学院が行えていないということなのだろう。

 となると、問題は、K弁護士が指摘するような教育が、学者教員の方が多数を占めちゃってる法科大学院で果たして本当に可能なのか、そういうことに文科省・大学側・学者教員が納得するのか、ということなのかもしれないね。

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